没線画法 
2010/04/30 Fri. 17:41 [edit]
私の郷土、飯田出身の「菱田春草」という画家がいます。「横山大観」と親友であり、朦朧体と揶揄されたのですが日本画の世界で没線画法を工夫したということは知られていますが、横山大観の記事の中にこんな言葉を見つけました。
「没線画法は、岡倉天心に「空気を描く工夫はないか」と問われ、菱田春草らとともに考え出したもの」
それで、このことについてちょっと書く気になったのです。
以前に書いたことがあるように、私自身は「奥津国道」氏の本を見てから絵をやってみる気になったのですが、奥津氏はまさに線画に着彩の絵。私もしばらくこの方法を続けていたのですが、次第にイライラする気分がつのってきました。もっと気分の赴くままに筆を自由に走らせたい欲求が強くなってきたのです。
#そうした意味では、主として水彩画特有のにじみ、ぼかしを生かした画法というより、筆のタッチを生かすような描き方が好みだったとも言えそうですが…。
そうした頃、三橋俊雄先生の教室に参加させていただいて、雰囲気を描くということの大切さを感じるようになってきたのです。その後もいろいろ自分なりに試行錯誤しているうちに、図らずも自然に没線画法に近づいてきたようです。
ただ、私の場合にはあくまでも水彩画。下絵は鉛筆で…ということになります。
最近は、下絵がだんだん「当たり」程度の簡単なものになり、筆で絵を固めていくようになっていたのですが、最近春先の木々の細かな枝が見える風景を描いたり、絵の具を忘れて鉛筆画に着彩したりしているうちに、再び鉛筆の線も絵に生かして良いのではないかと感じるようになってきました。
まあ、どの方法で…などと固苦しく考える必要はないでしょう。
その時々に応じて、あるいは描こうとする風景や描く部分によって下絵の描き方も変わって来て良いかな…というのが、最近の考え方になりました。
category: ┗画論
コメント
没線画法
こんにちは。pikasoです。本名は菅野です。
こうした絵についての考え方も紹介していただけるといいですね。私も時々ブログにかきます。
現代絵画は、わざと輪郭線を描いて、本当の空間より奥行きを縮めたりして描いている人もいます。ピカソ以来、絵画は平面だという考え方から、いろいろ出て来ましたね。
レオナルドの空気遠近法から400年個展技法が続いて、それをひっくりかえしたピカソ、そして現代はなんでもあり、そういう状況です。
描きながら、自分の体験として線の在り方を考えていらっしゃることがいいなあと思います。
生徒に石膏デッサンを教えるときは、輪郭線は描くなと言います。しかし、クロッキーなどでは、線の美しさを追究させます。どちらもそれぞれの良さがありますね。
この話は、話し出すと終わりませんね。
また、このような原稿もかいてください。
こういう会話が喫茶室でもされると面白いでしょうね。失礼しました。
pikaso #0JPpj7Tc | URL
2010/05/11 11:05 | edit
>Pikasoさん
わざわざコメントありがとうございます。
なんでもありという絵画の世界で、自分の考え方をことさら披露するというのが、何となく面映ゆく感じられるようになってしまいました。
でも、そう言われてしまうと何となく書いてみようか…なんて気にもなってしまいます。
まあ無理しないで書きたくなったら書く、そんなことで行きたいと思いますが…。
のび太 #- | URL
2010/05/11 21:46 | edit
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