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 … 風景画の部屋 …  


 「水彩による風景画」生活の日常を綴ったブログ日記です。
 絵を描き始めた頃の絵は「絵画ギャラリー」に、そして最近(2007年~)の絵は「Facebook」に展示しています。

 「水彩画教室(四季彩の会)」の詳細はこちら。(室内教室は戸塚駅周辺、戸外スケッチは横浜全域から周辺地域)
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戦争というもの、そして選挙  

 以前、原発反対の記事を書いたことがありました

 以来、ここではあまり政治的なこと書くことをやめようと思ってきました。
 しかし、今はとても大切な時だと思うので日頃思っていることを記しておきます。ちょっと長いですが読んでいただけると嬉しいです。

 特に、末尾の方にある三宅洋平の演説だけは聴いてみて下さい。もしかしたらあなたの政治観が変わるかもしれません。いやむしろそれを期待しています。
 三宅洋平の演説は本当に素晴らしい。こちらも聴いてください
#しかし、山本太郎の誠実・頑固な政治姿勢に比して、三宅洋平は政治家としては腰が据わっていなかったようです。残念ですが。
#もっと残念なのは、山本太郎に続く若く誠実な政治家がなかなかいません。せめて数人、そういう政治家が出てくれたらこの日本、変わってくれると思えるのですが…。

 マスコミでは報道されていないので殆ど知らない人もいると思います。渋谷での画像とそれに関する新聞記事も掲載しておきましょう。
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*     *     *     *     *

◆戦後70年か…

 私は男兄弟5人の4番目になる。
 私のすぐ下の弟は、高校卒業と殆ど同時に亡くなってしまった。そして昨年末には2番目の兄が、難病で数年病んだ後亡くなった。
 幸い他の兄弟は元気だが、長兄はいろいろ思うことがあるらしく、毎日のように感じたこと思ったことを写真と共に送ってくる。

 最近兄が送ってくれたこの写真は私の実家のはるか昔、戦前の様子である。長兄もまだ生まれる前の頃である。この頃はまだ周囲には殆ど家がなかった筈である。
 もう一枚の写真は、つい最近の近隣の風景である。2枚の写真には90年ほどの時間差がある。高山や白川郷へ行った時も感じたが、風景というものは数十年もたてば様変わりしてしまうから、90年もたてば風景も2~3世代の変遷を遂げている。

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 この写真の風景では、まだ回りの田畑も十分整備されていないようだし、この川は用水路だが、こうしてみると手作業で工事していたのだろう。このあたりの農家は私の家しかないような状態だったから、こうやって父や母が中心になってつくったのかもしれない。恐らく敷地の石垣も家の者たちが積み上げたものに違いない。

 家の敷地が周囲より高くなっているのは、先祖(曾祖父の代か?)が高台からこの地に下りてくる時、そういう土地を選んで下りてきたものだと聞いていた。昭和36年の伊那谷集中豪雨の際には私たちの村も大きな被害を受け、このあたりも水に浸かったのだが、私の家だけは床下浸水で済んだのだった。「土地を読む」ということは安全を確保するために極めて重要なのだが、いつの間にか私たちはそんなことすら他人任せにしてしまうようになったんだろうか?

 父は、この後戦争にとられて満州へ行った。残された者達は女と男の子一人(今年1月に亡くなった叔父。それも戦争にとられた。)だ。どれほど大変だったことか…。

 兄からのメッセージには次のようにあった。

 昨日、いまも生活の拠点となっている旧宅の話をしましたが、その前の住居の話をしよう。
 現在地に主屋があり、その東側に蚕室棟があった。その真中に入口があり、すぐ左に座敷への昇り段が、その奥に、イロリを中心とした居間兼台所に生活していた。南側にお客様専用の表座敷と主人の中座敷とあった。北側に水場、物置、蔵があった。まずはこれで城部落から天竜川原に移り住んだ最初の住宅となつた。明治43年の事である。父KZHの生れた年に移り住んだとSNE婆さんに聞かされて来た。
 以後、蔵の南側に、桑置場、穀物倉、そして昭和になって畜舎と増築をして来たと思われる。戦後は蚕室に住むことになるのだが、これについては後述する。
 さて、当時の活しぶりについて触れよう。ひい様SNE婆さんは、後に増築したと思われる南西の隠居と称してトイレ付の一間に住み、TME婆さんは、イ口リの間よりー段上の中座敷に住んでいた。主人KZHは出征中で、後はHTK婆さんと乳飲み子HSYは台所に住んでいたと思われる。 物心ついた時はTME婆さん子と称して中座敷で枕を並べていた。ISOさん、IKOさん、HTK婆さんは、イロリの間に住み、これはKZH父が復員するまで続ぃた。イロリの間はいつも賑やかで、イロリの火は消えることはなかった。今も強烈な印象は新潟から、瞽女が来るのを心待ちする年寄達だ。外からの情報源と彼女らの奏でる三味線の響きに一晩、二晩と酔いしれていた。イロリの間で寝起きを共にしながら。古い写真を観るとそんな70年前が眼に浮ぶ。

 昨日の続き。もう少し戦前の生活について触れる。
 私が生れたのが昭和12年、中日戦争が始った年だ。記憶にあるのは、大東亜戦争、つまり第2次世界大戦が開戦の時くらいか。母やお婆さん達が、大変な事になって来た、と話していたのを思い出すくらい。父との思い出は、農業技術員として、HRYへ赴任していた時、田舎の道をデコボコ走る乗合バスに揺られて、長い道をつれられて行ったことか。下宿先の2階から、夜、ひさしの瓦の上に小用をした、そんな事が鮮明に思い浮ぶ。戦争は拡大し銃後を守る生活は、欲しがりません勝つまでは、の節約生活と、トントントンカラリの隣組、とコミュニティーの組織強化がはかられた。その上に、教育の監視する方法として軍人教練の各校への配備、天皇の写真と教育勅語を納めた奉安殿の設置と活用で、国民の意志を一つ方向にまとめた。また、憲兵による赤狩りと称し、危険思想保持者の摘発と、無理矢理に国民を、軍時政権に従わせた。そして、最終段階では、個人所有の貴金属、タンスの金具に至るまで供出、本土決戦に備えて竹ヤリ作戦の共同練習と、皆んな狩り出された。冷静に考えれば、こんな情況で戦争勝利なんか、あり得ないのに。
 父は相変らず留守。満州移住とかで、田んぼ、今の県住の南側に3反歩位の田、を売って単身満州へ。そして徴兵、赤紙が来て、大勢の親戚、縁者、隣人に、万才!万才!と見送られ、ITD駅から出征してしまった。以来終戦まで、残された家族で生活を守った。 ・・私の生まれる前、‐RYT水路の落成直前、父、母、SYK叔母の写真。・・



 今は、敗戦から70年。誰も戦争の責任をとらず、いやむしろ戦争責任を負うべき人間がアメリカの指示を受けて日本を動かし、また戦争を起こそうとしている。
 国民までもが、自分達も戦争で散々な目にあっているにも拘わらず、近いうちに戦争が起ころうとしているというのに、多くの人間が真実を見ようともせずノーテンキにアベノミクスを争点とするかのような選挙運動に、コロッとだまされるものだとは考えもしなかった。
 原発事故で日本国民は変わるだろうと期待していたのだが、ここでも誰も責任をとることなく再稼働を図ろうとしている勢力…アメリカのシモベとなって、国民を欺きながら自分達の利益だけを追求しているそんな連中(官僚・政治家・マスゴミ・財界等々)に何も考えず身を委ねようとしている人間が多いものとは考えても見なかった。

 今の日本(古く遡れば明治維新からか…)は、まるでマトリックスの世界だ。アメリカの植民地にしかすぎない国を独立国であるかのように見せかけ、それを維持するためにあらゆる手段が講じられている中で、国民は税金を吸い上げられ、支配層に利益を配分させられている。海外にばらまくカネや軍事費だけは際限ないが、国民のための福祉や年金はどんどん削られる。
 アベノミクスさえもがそもそも経済の浮揚のためではなく、アメリカに指示されて、世界最大の債権国日本(国民)の資産を放出し減じることで、アメリカを救うためにやっていることに気づいている人は少ないだろう。考えてみたら良い。日本だけの意志で円安誘導できる筈がないだろう。そんなことができるくらいなら、プラザ合意で円高を押しつけられて以降、20数年、日本だけが成長できない国にさせられてきたことなど、とっくの昔に解消できていたことなのだ。
 なぜ日本の危機が強調され軍備だけが推進されるのかわかっているのだろうか?中国や北朝鮮の脅威論ばかりが煽り立てられて軍事費は膨らむが、その大半がアメリカの軍事産業やネオコン、自民党の利益になっていることも理解している人は少ないだろう。戦争は日本の軍事産業を含めて、支配層の利益につながっていることも理解している人は少ないだろう。そして戦争がもし起こっても支配層の子弟は恐らく戦争を逃れるだろう。戦争で本当に痛めつけられるのは国民なのだ。アメリカが日本を守ってくれるなどというのは幻想だということも理解せずに、こんな支配層の大ウソを国民は本当に信じているのだろうか?
 食料自給率の低下、人口減少、外国人労働者・移民の増大、ミサイルの標的になるような原発の推進等々、国のもう一方の危機を推し進めているのは支配層のための自民党政権そのものではないか。それも自分の利益しか考えていない世襲の政治屋や票集めのためだけの無能議員ばかり…。
 しかも、自民党政権維持のため、野党票の分断を目的につくられた、野党の顔をした多くの自民党補完政党。それがいっぱしの主張をし、本当の野党の主張は薄められ隠される。そして、ネットでは比例区の投票で「支持政党なし」と書いてはいけないということも盛んに言われているが、「支持政党なし」という政治団体は自民党の勢力だからである。

 国民の立場から真実を突いている政治家は数少ない。まだそういう政治家に会ったことがないという人、選挙で投票したくなる野党候補がいないという人は、山本太郎の言葉を少しでも聴いてみたらどうだ。マスゴミには報道されることのない三宅洋平の演説を聴いてみたらどうだ

 メディアの操作をはじめあらゆる姑息な手段で政権維持のための操作が行われているのに、なぜ選挙だけが公正に行われていると考えられるのだろうか?
 そもそもなぜ投票に鉛筆書きが求められるのか…。期日前投票がどう管理されているのかなぜ疑問を持たないのだろう。鳥越俊太郎も言っているインチキな意識調査(「意識操作」と呼ぶべきだろう)についてなぜ疑問をもたないのだろう。その他、町内会活動、さらには様々な福祉施設・病院等の不自然な票集めがどのように行われているのか…。
 なぜムサシという安倍晋三が大株主だという胡散臭い会社が票集計と選挙の諸活動を殆ど一手に引き受けてやっているのか?
 安倍晋三の兄は三菱商事パッケージング社長(つまり日本の最大の軍事産業でもある三菱重工系)、甥はフジテレビ政治部、一方、麻生太郎の弟が出口調査などの調査会社を経営し、甥が2ちゃんねるの経営陣の一角にいることなど…根はすべてつながっていると私は考えている。


 それでも、選挙にはいかないといけない。
 あきらめたらそれでお終いだからだ。

 伊丹十三(その死も不審視する見方があるが…)の父親・伊丹万作にこんな言葉がある。
 「「だまされていた」と言って平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。」


 私は原発事故後目覚めた。二度とだまされるのはごめんである。
 もちろん人をだましたくもない。だから思っていることを言おう。

*     *     *     *     *


 選挙も近いので日頃思っていることをつぶやいてみた。
 今は、平和な日本を守ることができる殆ど最後の時でもあると思っているのだ。

category: ┗その他

tb: --   cm: 2

コメント

こんにちは、拝読させて頂きました。
貴方の言われることはよく理解できますし、
まったく そのとうりだと思います。
 
私が一年早く世の中に出ていますが、久々に
同年代の方に出会えたようで嬉しく思いました。
それとは別として今後も作品を拝見させてください。

fuku爺 #- | URL
2016/07/05 11:23 | edit

>fuku爺さん

 コメント有り難うございます。誰からも反応がないものと思いながら書いていますので、とても嬉しく思います。
 結局、この国は私が書いているようなことに自覚のない人々の投票結果によって動かされていくのだと思いながら、それでも何とかしたい、そのためには多くの方々に気づいてもらわないことには…と思っています。
 しかし、絵を描く人は特に政治的な問題には関心がないようで、こんな話題は場違いだと思いながら、それでも…と思ったり、私自身もブログに書く内容にはこれでも気を使ったりしています(笑)。

 もちろん、絵は続けますのでよろしくお願いいたします。

のび太 #ff.uBqoo | URL
2016/07/05 20:12 | edit

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