ハガキサイズ・スケッチ 
2004/05/28 Fri. 21:14 [edit]

画材屋に行くとハガキサイズのスケッチブックもある。切り取ればハガキになるというやつである。いつも持ち歩いていて、メールではなくて、ハガキで送ってみたら面白かろうと思い、これに絵を描いてみた。
ハガキ絵だから気楽に行こうと思い、最初は、鉛筆で下図を描き、水ペンというものに顔彩を使ってみた。しかし、これがあまりにも下手くそなので、もう一枚を手がけざるを得なかった。
2枚目は、ペン画を下図に、以前購入した水彩画用のセットを使った。同じ人間が描いているのにこれほど違うのか?といった絵になったような気になれて、自分でちょっとホッとしている。
しかし、出来映えは全く不本意なものである。小さな絵だからといって中途半端はいけないという教訓になった。ハガキ絵というものは、いっそペン画主体にして淡彩でさらっと仕上げるか、小さくても手を抜かずちゃんと仕上げる方が良いんだろう。
category: ┗ 風景04年
絵と写真 
2004/05/05 Wed. 19:15 [edit]
友人に写真をやっている人がいる。最近は腕を上げて、展覧会?でも結構良いところに行っているらしい。
しかし、私は写真にはあまり関心がわかない。その理由をいくつか考えてみた。
写真の「命」はタイミングではないかと思う。それを掴むためには、まず、その場に自分が「居ること」、そしてタイミングを掴むために「待つこと」が最も重要である。もちろん撮影のための構図、露出、シャッタースピード等の技量も必要である。しかし、そこには技術の占める比重がどうも大したことないように思えてしまうのだ。
このところずっとパソコンを使っていて、技術の比重がソフトによってどんどん薄められてしまっていることを感じている僕としては、名人とは言わなくても「技術」の違い(審美眼はもちろんであるが)を明らかに感じさせてしまうものに惹かれているのである。かといって何でも最初から始めれば良いと言うほど自分に自信があるわけでもないし、条件が整っているわけではない。それに何より自分が関心を持てるものでなくてはならない。そう思ったとき、思いつくのが絵だったわけである。
絵と言ってもいろいろあるが、鉛筆画には多少自信らしきものがあってもやはり色彩が欲しい。となると水彩画くらいしか思いつかなかったのである。油絵はいかにも面倒だし、ああいうコッテリ感は僕にはちょっとくどく感じる。かといって、日本画は大変そう。何より、一つのものにじっくり取り組むのは、どうも今まで仕事をしていてなじめそうもない。まあ、そんな意味もあって水彩画なのである。
そんな気持ちでいたところ、今年(2004年)になって本屋で関連図書を見ていたら、自分好みの絵が表紙になっている本を見つけた。奥津国道著「水彩画プロの裏技」である。これを買って読んでいるうちに、何となく自分でも描けそうな気になってきた。今まで絵の着色に入り込めなかったのは、着色は中学くらいまでの記憶しかないし、色を塗ると全てぶち壊しといった印象を持っていたからであるが、これを読むと、表現するには様々な技術やそのための道具があり、それを上手にモノにすれば結構いけそうな気がしたのである。
そんなわけで、3月頃、この本をもとに画材を揃えようと横浜世界堂に出向いた。いろいろ迷ったがどうせ絵の道具なんて、そう高いモノではない。そう考えて本に書かれているモノを選択していったのだが、たまたまそこに水彩画の女性グループが来ていたのでちょっと聞いてみた。
彼女らに「筆などそんな高いモノである必要はない」とか「カードをつくった方が安い」等のアドバイスをもらったが、その際「5月の連休に234番館で展覧会をするので良かったら来てみたら?」と言われていた。これを覚えていて、先日、その展覧会に言ってみたと言うわけである。
展覧会は男女6人(何故かタイトルは「三人展」となっていたが)の展覧会になっていた。この人達は芸術系の大学の卒業生かとも思っていたのだが、聞いてみるとそうでもない。数年から10年程度の人達らしい。絵の方は、結構良く描けていたと思う。「描いていますか?」とは言われたが、こちらはまだ1枚も(年賀状は描いていたが)描いていない。
しかし、こんなことが刺激になって、その翌日、水彩画のスタートとして2枚描いてみた。1枚は展覧会の日に回った「横浜洋館巡り」の中から、ケヤキの新緑が印象的だった「外人墓地」と、以前、新聞写真をもとに鉛筆で描いていた「小田原・古稀庵」である。いずれも完成にはもう少し手入れが必要であるが(今回は習作として考えることにしたが)、自分でも「この程度描ければ、これからの努力で何とかなりそうだ」というような感触が得られる程度には描けたようだ。今回はいずれの絵も樹木表現に課題があることを感じたがが、何となく水彩画の要領のようなものもわかってきたような気がする。
今回の「水彩画のスタート」で思ったことは、以下のようなことかな?
・絵は写真と異なり、現実をそのまま描く必要はない。自分で好きなようにアレンジしながら描いても良い自由さがある。このあたりをめざしてみよう。
・「技法」はそれなりにあるが、同じ樹木であっても、状況などによっていろいろな表現の仕方がある。臨機応変に考えていけばよい。先の本に描かれていた技法はもちろん大いに参考になるが、その中にも、他の本に書かれていたものの中にも様々な技法があり、そういうものを試行しながら自分の技法にして行けばよい。まずは、とにかく数多く描くことにして始めてみよう。(でも早いだけの絵は厭だなぁ。)
・絵を描くには時間がかかる。多くの人は直接スケッチするらしいが、忙しい僕はデジカメ写真に撮ってからそれを描くことも考えて良いだろう。写真をトレースして下図を描くのは簡単だが、そこまでやってしまってはデッサン力が身に付かないかな?(^_^;) でもスーパーリアリズムの画家なんかは、そうやって描いているんだよね。
しかし、私は写真にはあまり関心がわかない。その理由をいくつか考えてみた。
写真の「命」はタイミングではないかと思う。それを掴むためには、まず、その場に自分が「居ること」、そしてタイミングを掴むために「待つこと」が最も重要である。もちろん撮影のための構図、露出、シャッタースピード等の技量も必要である。しかし、そこには技術の占める比重がどうも大したことないように思えてしまうのだ。
このところずっとパソコンを使っていて、技術の比重がソフトによってどんどん薄められてしまっていることを感じている僕としては、名人とは言わなくても「技術」の違い(審美眼はもちろんであるが)を明らかに感じさせてしまうものに惹かれているのである。かといって何でも最初から始めれば良いと言うほど自分に自信があるわけでもないし、条件が整っているわけではない。それに何より自分が関心を持てるものでなくてはならない。そう思ったとき、思いつくのが絵だったわけである。
絵と言ってもいろいろあるが、鉛筆画には多少自信らしきものがあってもやはり色彩が欲しい。となると水彩画くらいしか思いつかなかったのである。油絵はいかにも面倒だし、ああいうコッテリ感は僕にはちょっとくどく感じる。かといって、日本画は大変そう。何より、一つのものにじっくり取り組むのは、どうも今まで仕事をしていてなじめそうもない。まあ、そんな意味もあって水彩画なのである。
そんな気持ちでいたところ、今年(2004年)になって本屋で関連図書を見ていたら、自分好みの絵が表紙になっている本を見つけた。奥津国道著「水彩画プロの裏技」である。これを買って読んでいるうちに、何となく自分でも描けそうな気になってきた。今まで絵の着色に入り込めなかったのは、着色は中学くらいまでの記憶しかないし、色を塗ると全てぶち壊しといった印象を持っていたからであるが、これを読むと、表現するには様々な技術やそのための道具があり、それを上手にモノにすれば結構いけそうな気がしたのである。
そんなわけで、3月頃、この本をもとに画材を揃えようと横浜世界堂に出向いた。いろいろ迷ったがどうせ絵の道具なんて、そう高いモノではない。そう考えて本に書かれているモノを選択していったのだが、たまたまそこに水彩画の女性グループが来ていたのでちょっと聞いてみた。
彼女らに「筆などそんな高いモノである必要はない」とか「カードをつくった方が安い」等のアドバイスをもらったが、その際「5月の連休に234番館で展覧会をするので良かったら来てみたら?」と言われていた。これを覚えていて、先日、その展覧会に言ってみたと言うわけである。
展覧会は男女6人(何故かタイトルは「三人展」となっていたが)の展覧会になっていた。この人達は芸術系の大学の卒業生かとも思っていたのだが、聞いてみるとそうでもない。数年から10年程度の人達らしい。絵の方は、結構良く描けていたと思う。「描いていますか?」とは言われたが、こちらはまだ1枚も(年賀状は描いていたが)描いていない。
しかし、こんなことが刺激になって、その翌日、水彩画のスタートとして2枚描いてみた。1枚は展覧会の日に回った「横浜洋館巡り」の中から、ケヤキの新緑が印象的だった「外人墓地」と、以前、新聞写真をもとに鉛筆で描いていた「小田原・古稀庵」である。いずれも完成にはもう少し手入れが必要であるが(今回は習作として考えることにしたが)、自分でも「この程度描ければ、これからの努力で何とかなりそうだ」というような感触が得られる程度には描けたようだ。今回はいずれの絵も樹木表現に課題があることを感じたがが、何となく水彩画の要領のようなものもわかってきたような気がする。
今回の「水彩画のスタート」で思ったことは、以下のようなことかな?
・絵は写真と異なり、現実をそのまま描く必要はない。自分で好きなようにアレンジしながら描いても良い自由さがある。このあたりをめざしてみよう。
・「技法」はそれなりにあるが、同じ樹木であっても、状況などによっていろいろな表現の仕方がある。臨機応変に考えていけばよい。先の本に描かれていた技法はもちろん大いに参考になるが、その中にも、他の本に書かれていたものの中にも様々な技法があり、そういうものを試行しながら自分の技法にして行けばよい。まずは、とにかく数多く描くことにして始めてみよう。(でも早いだけの絵は厭だなぁ。)
・絵を描くには時間がかかる。多くの人は直接スケッチするらしいが、忙しい僕はデジカメ写真に撮ってからそれを描くことも考えて良いだろう。写真をトレースして下図を描くのは簡単だが、そこまでやってしまってはデッサン力が身に付かないかな?(^_^;) でもスーパーリアリズムの画家なんかは、そうやって描いているんだよね。
category: ●絵への思い
皆春荘の門(新聞写真より) 
2004/05/03 Mon. 21:11 [edit]

小田原の古稀庵「皆春荘の門」である。新聞にあった写真をスケッチにしてみたものである。以前「長谷川如是閑」と言っていたこともあったが、これは私の早とちりで彼が住んでいたという記事を見間違えたものである。
久しぶりに真剣に描いた絵である。出来映えはまあまあと思っているが、全体として濃淡等メリハリが不足している。恐らくまだ自信をもって着色ができていないせいである。修正もしようと思えばできるが、これは初期の絵としてこのままにしておこう。
#これは間違いで、古稀庵と皆春荘は関係はない。
category: ┗ 風景04年
横浜外人墓地 
2004/05/03 Mon. 21:09 [edit]

本日は時間があったのでちゃんとした水彩画を描こうと思い立って2枚ほど仕上げた。先日の横浜洋館巡りの中で撮影してきた「外人墓地」と、新聞の中の写真を描いた「小田原の長谷川如是閑」である。どちらも自分では不本意な点も多いのであるが、結果はまあまあというところか。本で読んだ方法も試してみたのだが、全てに当てはまることばかりではなく、このケースにはこの方法の方が良さそうだ…等考えさせる場面もいくつかある。まあこうやって少しずつ達者にはなっていくんだろうが…。
この外人墓地の絵は、「水彩画プロの裏技」奥津国道 のグリザイユ手法を試してみた。しかし、それ以前に樹木の色彩が黄色すぎて失敗しているような気がする。また、これを描いて思ったのは、グリザイユはもともとがグレー系なので、樹木の影を建物の影と同様のグリザイユで良いのかどうか疑問だということである。
category: ┗ 風景04年
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