… 風景画の部屋 …  


 「水彩による風景画」を主なテーマにしたブログ日記です。
 これまでの絵は「絵画ギャラリー」に展示しています。初めての方はまずはこちらへどうぞ。

 横浜周辺での「風景画教室」です。詳細はこちらです。
 講師・平澤への連絡は「ka.hirasawa*gmail.com(*は@に代えて)」あるいは「電話 080-5860-3281」へどうぞ。

◆木曜教室は一杯です。木曜でなければダメと言う方は平澤まで連絡してみて下さい。
「次回は07月06日(木)戸塚公会堂(皆で同じ風景を描く)」です。(7月からの詳細)

◆金曜教室(新規にスタート。まだ余裕があります。)
「次回は●07月07日(金)戸塚区民文化センター(各自の望みの風景を描く)」です。(7月からの詳細)

◆遊彩会はまだ余裕があるようです。人形町に来られる方であれば区内の方でなくてもOKとのこと。
 ご希望の方は会長さんにお話しを伺ってください。

秋の上高地を思い出して:F4・F3  

秋の上高地を思い出して:F4

秋の上高地を思い出して:F3

 今まで、何らかの形で建物の入る絵ばかり描いてきました。風景画と言いながら、私には完全な自然風景より、自然と一体にある建築風景が好きだからです。しかし、徐々に壁のようなものを感じてきましたので、しばらくは新しい絵を描いていってみよう、様々な風景画に挑戦しようと考えばじめました。「説明的な絵ではなく…」とか、「きれいには描くけど…」とか、「もっと全体のバランスを考えて…」とか、いろいろな事を言われ始めていると同時に、私自身も何をどう考えて描いたらいいのか、少し迷い始めていることもあるからです。
 現地で描けばもっと自由に描けるような気もするのですが、どうしても写真を見ながら描くと写真以上の情報がないせいか、なかなかそれ以上の表現ができないという感じがしてしまいます。
 とまあ、そんなことを考えながら、写実ではないもう少し自由な方向を考えてみたいと思います。
 まず、自然風景として、以前行ったことのある紅葉の上高地を思い出して描いてみようと思って描いたのがこの絵「明神池」です。本来の明神池はこの絵を描いている私の背中側なのですが。私には、こちらの風景が心に残りました。

 ところで今回は、少し描き方を変えて2枚並行的に作業を進めました。下の方が、やや実験的なつもりで描いたのでより短時間であり、表現もやや粗くなっています。下の方が大きく見えるかもしれませんが、これはF3、上の方はF4ですから、上の方がやや大きいサイズです。
 上の方は、少し画風を変えて慎重に描いてみましたが、いつもよりやや色調が薄く、迫力もメリハリも足りないように思われる方もいるかもしれません。特に池の向こう側の手前の方の樹林はもう少し色濃く、もう少し描き込みがあった方が良かったしれません。この絵は、別に手を抜いたわけではなく、少しほんわかとした雰囲気で描いてみようと思ったからこうなったのです。
 しかし、いずれも説明調かなぁ。

category: ┗ 風景05年

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沢田重隆氏の本  

 絵の友人が、参考のためにということで、彼が好きだという「沢田重隆」の絵を紹介してくれました。イラストっぽいタッチながら、かなり「自由な筆遣いを感じさせる精細画」とでも言ったらいいでしょうか?どことなく彼の絵に雰囲気が似ています。
 とりあえず、紹介してくれたこの本 「鎌倉 海と山のある暮らし」安西篤子/草思社 を注文しました。

category: ┗文献

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再び、横浜・三渓園鶴翔閣を描く:F4  

再び、横浜・三渓園鶴翔閣を描く:F4


 先日、飲み会で友人に絵を見て貰ったことから、「これからは特定の施設中心の説明調の絵より、風景を中心とした絵」を積極的に描いて行こうという気分になっています。また、下絵も、これまでのペンから鉛筆を中心にして描いていこうという気分になっています。
#新しいペンも買ってしまった(^^ゞのですが…。

 さて、今回の絵は、三渓園の旧原家住宅を別の角度から見たものです。この大池には小舟が浮かべられているので、これも入れてみました。
 友人が言うように、今までは建物の説明調の絵、つまり絵はがきのような絵といったらいいんでしょうか?そういう絵だったとは思うのですが、今回は小舟など演出的な要素はあるし、絵はがきとしても見たような気がしないでもないのですが、いわゆる風景としての絵を意識しつつ描いたものです。何か違っていますかね?

category: ┗ 風景05年

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横浜・称名寺釈迦堂を描く:F4  

横浜・称名寺釈迦堂を描く:F4

 昨日は、金沢八景から金沢文庫めぐりをしてきたので、どこかを描きたいと思っていましたが、やはりメインの称名寺くらいしか描けそうなところがありません。ところがこの称名寺、結構広いのですが、なかなか描きたくなるところが見つかりません。唯一絵にしたいようなポイントがあるのですが、称名寺を紹介するサイトに行くと、殆どのものがここからの写真なのです。そういうところは描くとしても一番最後にしたいじゃないですか!
 自分の一番好きなポイントを…と探してみたのですが、結局なかなか見つからず、最も気に入った施設である「茅葺きの釈迦堂」を描くことにしました。
 しかし、どうしても単体に近い建物を描くような感じになってしまいますので、今までと少し描き方を変えてみることにしました。つまり、鉛筆ではあるのですが、スケッチ風に描いて、それに着色することにしてみることにしました。
 これがうまく行けば、以前描いた、小田原の古稀庵皆春荘の門の絵にも着色できる筈です。問題は、水彩の着色によっていかに鉛筆の色が濁らないようにできるか、にかかっている筈です。

 着色は、円覚寺の居士林の場合とはうって変わってあっさりしてみました。これは、影の部分をすでに鉛筆と擦筆で面的に表現してしまっていたからです。でも自分としてはあまり成功したように感じられません。やはり影は絵の具で表現した方が良いように思いました。もしかしたら、いつもよりあっさりした着色だったせいかもしれませんが…。

 称名寺は、公式ページでは下記のように説明されています。さらに詳しい内容は、ここをご覧下さい。

国指定史跡 称名寺境内
 称名寺は、金沢山称名寺と号し、真言律宗の別格本山として西大寺末の律院で、本尊には木造弥勒菩薩立像(鎌倉時代、重要文化財)が安置されています。
 本寺は、金沢北条氏一門の菩提寺で、草創の時期は明らかにしていませんが、正嘉二年(1258)、金沢氏の祖と称されている北条実時(1224-1276)が、六浦荘金沢の居館内に営んだ持仏堂から発したと推定されています。
 その後、称名寺の基礎が定まるとともに伽藍の整備が着手され、実時の子、顕時(1248-1301)の時代には、弥勒堂、護摩堂、三重塔などが建立され、さらに顕時の子、貞顕(1278-1333)は伽藍の再造営を行い、元亨三年(1323)には、苑池を中心として弥勒来迎板絵(重要文化財)に荘厳された金堂を初め、講堂、仁王門など、七堂伽藍を備えた壮麗な浄土曼荼羅にもとづく伽藍を完成させました。
 しかし、元弘三年(1333)、北条氏の滅亡により鎌倉幕府の崩壊を契機として伽藍の維持が困難となり、江戸時代に入ると創建当事の堂塔の姿を失いました。
 大正十一年、称名寺の内界である中心区域が国指定を受け、更に、昭和四七年、境内背後の丘陵を含めた範囲が指定されるとともに、昭和六二年には、庭園苑池の保存整備事業が行われました。

category: ┗ 風景05年

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水貼り用パネルの購入  

 金沢文庫からの帰りには世界堂に寄りました。4号と8号の水貼り用パネルを買うためです。
 というのは、称名寺で自作のイーゼルで絵を描いている人がいまして、その人は水貼りではなかったのですが、板の縁をテープで止めていたのです。それを見たら急に水貼り用のパネルを思い出し、欲しくなったのです。
#絵の方は、特に上手というわけではなかったような(^^ゞ。

 合計でも827円と思ったより安い買い物でした。8号は予定より小さかったので交換してもらおうと電話したのですが、考えてみたら電車賃の方が高いのです。まあ、これはこれで使い道があるでしょう。後日もう少し大きい物を買うことにしました。

category: ┗画具

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金沢八景から金沢文庫へ  

 本日は快晴。風もなくこの上ない天気です。本来ならテニスということになるのでしょうが、本日は申し込みをしていなかったことに気がついてさてどうしようということになりました。仕事をしていても良かったのですが、そんなものは夜でもできます。それに最近絵を描く素材が乏しくもなっていたことを感じていたので、昼食後、急遽思い立って出かけることにしました。鎌倉でも良かったのですが、鎌倉を回るには時間がちょっと足りそうもないと思い、先日来気になっていた金沢八景の称名寺を見てくることにしました。手には「(ひげの梶さんと)とっておきの鎌倉を歩こう!パート2」(この本の名称、ちょっと長すぎるよ)持ってです。
 まずは本の紹介コースとおりに回ることにしました。金沢八景の駅を下りて、まずは米倉陣屋跡(のはずが、これは見過ごして素通り過ぎ(^^ゞ)。次に何とか「米倉家の墓」→「上行寺」それから「金龍院」(但しこれは薬師如来像が安置されている瑠璃光殿までで、金沢八景の観光発信の拠点となっていた九覧亭跡には行くことができませんでした。何となく入りにくい雰囲気だったのです)。
 その後は、泥牛庵→「琵琶島神社」→瀬戸神社などを見ながら洲崎神社→「龍華寺」→安立寺→町谷神社→八幡神社を見て、薬王院→「称名寺」と来ました。阿字池に面する仁王門から金堂の雰囲気はほぼ写真のとおりです。でも私が特に気に入ったのは、茅葺きの釈迦堂とその奥に広がる何もない草原でした。さらに急な階段を上って八角堂広場まで行ってみましたが、ここは全体がハイキングコースになっているようです。もう時間がないので、一旦引き返して、そのまま神奈川県の施設となっている金沢文庫で徒然草展を一回り見て、金沢文庫駅から帰りました。
 結構な強行の行程だったのか、思ったより疲れが残ったようです。

category: ┗取材・旅

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鎌倉・円覚寺居士林を描く:F4  

鎌倉・円覚寺居士林を描く:F4

 三渓園の冬の風景を描いているのも少し飽きてきたので、しばらく春の良い季節になるまでは、気楽にあちこちを描いてみようかと思っています。
 以前、円覚寺を描いていましたが、次に描くとすればここかなと思っていたのが、ここ「居士林」です。
 円覚寺を紹介するいくつかのホームページには、下記のような説明があります。

 晩秋の風景ですので、覆い被さるようなモミジ等の紅葉が色とりどりなので、どのような表現ができるか、なかなか難しいところでしょう。もちろん今回も水貼りしています。
 本日は、雨が降ってしまったので絵を描く時間は十分あったのですが、結局いつものように下絵のみです。水彩の絵を1日で描き上げるのはなかなかエネルギーが必要です。
 
居士林
 在家修行者の為の専門道場です。「居士」とは、在家の禅の修行者を指します。白隠派の禅を唱えた今北洪川の影響により、円覚寺では明治時代に入ってから在家信者による居士禅が盛んになりました 。現在も学生坐禅会、土日坐禅会と、初心者でも参加できる坐禅会が定期的に開かれています。
 選仏場の隣りにあり、在家信者の坐禅道場として使われています。昭和の初めまで東京の牛込にあった柳生家剣道場を昭和3年に移築したものです。居士林という名は建物を寄進した柳生徹心居士にちなんでいます。毎週土曜17時から日曜10時頃まで坐禅会が行なわれており、一般の参加も可能です。たまには日頃の忙しい日々を忘れ、一時無心の境地に身を置いてみるのも良いものです。生い茂る緑の木々の中に立つ居士林は、秋ともなれば門前の紅葉がとても美しく、拝観者の目を楽しませてくれます。
(注):その後、コメントをいただきました。一般の参加は不可だそうです。
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16日、着色し始めたのですが、葉の微妙な色の変化にこだわりすぎてなかなか進みません。しばらくそんなことをしているうちに、もういつもの寝る時間が来てしまいました。それで途中であきらめです。
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 17日、ようやく着色が終わりました。繊細な絵と評してくれた友人がいましたが、そういうつもりはありませんでした。こういう複雑な色調の絵をどう描いたら良いか、まだ方法がわかっていないだけかもしれませんね。この絵は、千住博の「背景は背景ではない」という言葉が堪えました。「自分の画風に近い個展に学ぶ」ということが必要なのかもしれませんね。
 でも絵全体としてはまあまあかな?と思っているのですが、いかがでしょうかねぇ。

 しかし、実はこの絵、カッターボードに水貼りをしたのですが、相当強く引っ張られるらしく、カッターボードが内側に引っ張られていたのです。それを下絵をスキャナーで読み込むために強引に平らにしたら、周囲がビリッと(^^ゞ。次回からは、気をつけなくては…。
 さらに絵として重要なところで失敗しています。これは写真で描く場合、詳細が良く見えないまま描いている場合の欠点かも。見ていてわかりました?実は、右奥の木が途中で切れているように見えませんか?描いている時は全く気がつきませんでした(^^ゞ。でももう、この絵はこれで終了としましょう(^_^)。

category: ┗ 風景05年

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横浜・三渓園鶴翔閣(大池を挟んで)を描く:F4  

横浜・三渓園鶴翔閣(大池を挟んで)を描く:F4

 いつの間にか間が随分空いてしまいました。明日には着色もできるだろうと思ったのでしばらくぶりに次の絵を描きたいと思います。

 そろそろ冬の三渓園にも飽きてきました。このページに来て頂いている方々の方はさらに飽きてきているかもしれませんね(^^ゞ。そんなわけで、この絵を一区切りにしたいと思います。
 最後に選んだのは、三渓園のオーナーであった原三渓の住宅だった「鶴翔閣(下記説明参照)」です。この絵で初めて三渓園の中心となっている大池が皆さんに紹介できることになります。
 今まで、こうした全景を描いて来なかったのは、私なりにはなかなか描く気持ちに至らなかったということです。どうも私の関心は、自然の風景より、「人間の生活する空間がどのように風景の中に存在しているのか」にあるのです。遠景になってしまうとどうもそれがぼやけてしまうような気がするので、どうしても建物中心になっているように見えるのかもしれません。
 説明はともかく、この手の絵は鉛筆のスケッチなら多少の自信があるのですが、水彩画の下絵としてのペン画になりますとどの程度描いたら良いのか、まだ自分でも方針が固まっていません。とりあえず、そんな不確定な気持ちの中で描いたのがこの下絵です。

 前回の失敗を踏まえて、この絵が本格的な水貼りの絵の最初になります。これからの絵は、できるだけ水貼りをしていきたいと思っていますが、さて、どうなりましょうか。
 また、本日、品川の方に行く用事がありましたので、横浜世界堂にて、定着液を購入しました。以下の2種類です。
・mini fixatif=木炭・コンテ専用
・DESIGN COAT=水彩画・ガッシュ・ポスター用

旧原家住宅
 原 三溪が自らの居宅として建てた住宅で、園の池を眺められる好位置に立地している。建物は、楽室棟・茶の間棟・書斎棟・客間棟・仏間棟・倉の6棟が接続して建ち、ボイラー室が隣接している。
明治39年(1906)の三溪園開園時から遠くない頃の写真にはすでに写っていることから、明治後期の創建と考えられるが、後世の改変が著しかったため、平成10年度から建築当初の姿へ復元するための修理がなされた。写真資料を含めた文献調査・建物の部材調査・周囲の発掘調査等を実施し、茅葺きと柿葺きからなる豪壮にして繊細な建設当初の建物の姿がよみがえった。
三溪のもとには下村観山・横山大観・前田青邨などの画家が出入りしたことが知られており、鶴翔閣は、明治の日本画壇に大きく貢献した記念物としての価値も認められる。また、横浜市域の近代和風建築の中でも白眉であることから平成10年度には横浜市有形文化財に指定された。

 14日は、特別忙しい作業予定は無かったので、夕方から彩色を施し仕上げました。やはり水面への映り込みの表現が予想通り難しかったです。最初は細かく筆を動かしながら表現していたのですが、結局それほど細かく表現する意味がないと考え、途中から少し大まかな表現にしましたので、やや徹底できないところが残ったようです。まあ、これは反省点として今後の課題にしましょう。

category: ┗ 風景05年

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横浜・三渓園三重塔を描く:F4  

横浜・三渓園三重塔を描く:F4

 三渓園に入ると人々はまず鴨の遊ぶ大池とその向こうの丘の上の三重塔に目が行くと思います。この三渓園のシンボルのような三重塔をなぜ今まで描いてこなかったかと言えば、今までいつも逆光で、絵にするような塔を見ることができなかったからです。
 しかし、いつまでも放っておくわけには行きません。やむを得ず今までの写真の中から、何とか絵にできそうなものを見つけ描いてみることにしました。
 本当はこんなにクローズアップしたものを見ることができるわけではありませんが、絵にするために、やむを得ず周辺からここを切り取り、若干の脚色をして描いてみたというわけです。しかし、どんな絵になるか、自信があるわけではありませんが…。

旧燈明寺三重塔
 三溪園のシンボルのように中央の山上に建つ三重塔は、京都府相楽郡加茂町燈明寺にあったものを、大正3年3月に移築したものである。燈明寺は、天平7年(735)聖武天皇の勅願によって建てられた寺で、貞観5年(863)清和天皇の代に再び勅願寺となり、弘法大師の弟子真曉僧都が中興し、真言宗とした。その後、室町時代に至り、康正3年(1457)天台沙門賢昌房忍禅が修復し、東明寺と改称し塔も復旧した。さらに江戸時代寛文元年(1661)日蓮宗の律師日便が檀徒藤堂高次の援助を得て荒廃を修め、寺号を本光山燈明寺と改めた。当時塔も修理を加えられ、建物の様式を見ると細部はいずれも室町時代の特徴を有している。巴瓦にも東明寺と書いたものを踏襲しているところより察して、康正3年頃再建されたものといえる。関東では最古の塔である。

 そろそろ仕事も気になってきているのですが、結局水彩画の方を優先させてしまい、続いて7日、着色してみました。
 この絵、空がかなりの部分を占めていますので、このまま空を描くと紙がボコボコになってしまうことがわかっています。そこで今回は「水貼り」をしてみることにしました。幸い、この下絵は水性ペンで描いていますが耐水性のものなので滲まずに済みそうだと言うことはわかっています。しかも本日仕事がてら横浜に出た際に、手回し良くちゃんと水貼りテープを買ってきているのです(^_^)。
 しかしこのバカ(私のこと)、水貼りの手順を間違えてしまい、紙を湿らせてから台紙に貼るべきを、台紙に貼ってから紙を湿らせたのです(大学時代に1度だけ水貼りをやったことがあるのですが、その方法をすっかり忘れていて、水貼りテープもこんなものだったんだぁ、というような具合です)。紙はボコボコになってしまうし、このまま戻らないんじゃないかと一時は焦りました。
 でもまあ、水貼りの効果は全くありませんでしたが、何とか描いた後もボコボコにならないで済んだという具合で、めでたしめでたし(何がだ!)でした。お騒がせしました。
 結果はご覧いただくとおりです。こうした雑木林のような林の雰囲気も以前よりは何とかましな表現になってきたようです。
 少しは進歩していますでしょうか?

category: ┗ 風景05年

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どのように絵を描いたら良いのか?  

 こうやって絵を描いているうちに、趣味で描いている絵と、画家が描く絵は何が違うのか、私は何を考えて絵を描いたら良いんだろう、そんなことを考えるようになりました。
 そんなことが意識の底にあったんでしょう。友人と話している時、千住博のことが話題になりました。以前TVで「大徳寺聚光院別院襖絵」をどのように描いたかを放映していた時、それを見た記憶が戻ってきましたが、その他にはバイオリニストの千住真理子の兄だということくらいしか知りませんでした。そこで気になり、WEBで調べたら、以下のような経歴がわかりました。それに何冊も本を出していることも。
 恥ずかしながらこれほどの人だったとは知りませんでした。

■千住博
 日本画家。1958年東京生まれ。1982年、東京芸術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業。1987年、同大学院博士課程修了。卒業とともに個展、展覧会で精力的に作品を発表。1994年、第7回MOA岡田茂吉賞、絵画部門優秀賞受賞(2002年、第13回MOA岡田茂吉賞大賞受賞)。1995年第46回ヴェネツィア・ビエンナーレで東洋人としては初めて優秀賞を受賞。2000年、河北倫明賞受賞、2002年大徳寺聚光院別院襖絵完成。絵画に限らず、講演、著書等世界的視野で幅広い活動を行っている。ニューヨーク在住。現在、京都造形芸術大学教授・同国際芸術研究センター所長

 いくつかの本を調べているうちに、レビューで紹介されている次の2冊を買ってしまったというわけです。その本も、CDと一緒に届きました。私が今考えていることに何らかのヒントになるかもしれません。
 急に忙しくなってきた感じです。(^^ゞ

◆千住博の美術の授業 絵を描く悦び 光文社新書
千住 博 (著) 価格: ¥756 (税込)
出版社/著者からの内容紹介
太古からの美術史をひもといて見てみると、結局芸術とは答えの返ってこない永遠に向かう問いかけのようなものです。私はこう思うのだけど、はたしてどうだろうか…。宇宙や神に対する質問の歴史が芸術の歴史なのです。答えの歴史ではないのです。だからこそそこにはすべてを超えた人類の共通の姿が出てくるのです。(本文より)
狩野永徳と比せられる日本画家による、京都造形芸術大学での講義録。
美術だけでなく、すべての「つくり手」に贈る“21世紀の芸術原論”。

◆HEART OF THE PAINTINGS―絵の心
千住 博 (著) 価格: ¥2,310 (税込)
内容(「MARC」データベースより)
作品は見る人の心の鏡となり、思い出や生死観などをスクリーンのように映し出しているのだ-。新作「Mの森」3点を収録した、画業20年の集大成一挙公開。世界の日本画家、千住博による書き下ろし画文集。

category: ┗文献

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横浜・三渓園臨春閣第2屋を描く:F4  

横浜・三渓園臨春閣第2屋を描く:F4

 本日(4日)は、午前中テニスをしてしまったために、水彩画を完成させる気分になれませんでした。そこで比較的簡単に描けるところをということで、以前描いたこともあるのですが、サイズがF0と小さくちょっと心残りでもあった「臨春閣第2屋」を再度描くことにしました。
 昨日スケッチブックサイズをF8で描いたのは良いのですが、やはり絵の具を使う範囲が広いと集中的な気分が必要なのでいつものサイズF4に戻しました(^^ゞ。
 昨日の絵は、WEB上で見るよりも実画の方が柔らかさが感じられるので、それほど悪い絵ではないという気分にもなっていますが、まあ反省点もないわけではないので、本日は鉛筆にして描いてみました。
#鉛筆だから修正しながら描くというわけではないのですが、基本的なミスは修正することができますからね。
 でも、鉛筆の方が線の描き方に慎重さが要求されるような気がするのは不思議なものです。でもこれは、スタート時点の心構えというか、「水彩画の下絵として線で描くのか」、「鉛筆画に彩色するつもりで描くのか」によって違うような気はするのですが…。いずれはこういう迷いもなくなるのかもしれませんね。

 もっとも、この絵もちょっと気になる点がないわけではないので、最終的にはもう少し修正してしまうかもしれませんが…。

 なお、この建物の説明は、昨日のページをご覧下さい。

 5日、続いて着色を施しました。今回は2度目だし、サイズもずっと大きいので以前のものより情けない物になると悲しいので、かなり慎重に着色してみたつもりです。
 もちろん本人としては、以前のものよりずっと良く描けたと思っているのですが、また新しい疑問というか悩みが…。つまり筆の扱いについてなのですが、どの程度筆に絵の具を含ませていくべきなのか?です。私の含ませかたは少し少ないのではないかと…。
 まあ次から次へと新しい悩みが出てくるものです。

category: ┗ 風景05年

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横浜・三渓園臨春閣第3屋を描く:F8  

横浜・三渓園臨春閣第3屋を描く:F8

 いよいよ明日から仕事開始。今年は曜日の関係で仕事の始まりがどうしても早く感じてしまう。
 このページ、今までアクセス状況がわからなかったので、アクセスカウンターとアクセス解析のソフトを設定した。これで少しは状況がわかるようになったかな?

 本日(3日)は、またまた横浜三渓園から今度は臨春閣を描くことにしました(三渓園はもう少し描くつもりです)。今回は少し広い範囲を描くことにしたのでF8を使うことにしました。
 勢い込んでF8にしたのは良いが、今日中に仕上げてしまおうと思って急いだので、十分バランスを考えないまま進めてしまい、いくつか失敗してしまいました。
 色の重なりは仕方ないとしても、背景の樹木の正面の建物(第3屋)から生えているように見えてしまうのは悲しいものです(^^ゞ。まあ、こうやって成長していくのですからご勘弁を。

 この建物は、公式サイトでは、次のように説明されています。

臨春閣
 慶安2年(1649)紀州徳川家の初代頼宣が和歌山市の東北三里、紀ノ川沿いに建てた夏の別邸巖出御殿であった。藩公は江戸出府に際して常にここに宿泊し、宝暦14年(1764)の取り壊しの際、泉佐野の長者飯野左太夫に与えた。飯野氏はこれを大阪春日出新田に別荘として建てた。その後150余年を経て清海氏が所有し、八州軒と称されていたが、明治39年原三溪が譲り受け、大正4年に起工、6年に移築が完了、改めて臨春閣と命名した。臨春閣は、第一屋、第二屋、第三屋からなっている。一屋と二屋の関係は創築当初のままであるが、三屋は当初、現在と異なって一屋の背後にあった。二屋はもと紀ノ川にのり出して建てられていた。臨春閣の襖絵は狩野探幽、同安信、同常信、同周信、雲澤等悦などによって描かれている。

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横浜・三渓園聴秋閣を描く:F4  

横浜・三渓園聴秋閣を描く:F4

 今日は50通ほどの賀状が届いたのですが、そのうち私の方で出していなかった人が5人。その返事を書いたり、昨年のデータの整理の続きをしたりしているうちに1日が過ぎてしまいました。しかし日中は良い天気だったので、テニスコートではきっとプレイをしていた人もいるのでしょうが、私は昨日に続いて犬(「アレックス」という立派な名前をもらっている)の散歩。TVも面白くないので、元旦早々スケッチになりました。
 本日(1日)も、横浜三渓園から聴秋閣を描くことにしました。とりあえず本日も下絵だけです。この三渓園、寺社ではないので敷地・様々な建物のつくり方や全体の雰囲気が変化に富んでいて、実は私自身、かなり気に入っているのです。
 この建物は、公式サイトでは、次のように説明されています。名称も良いですねぇ。

聴秋閣
 極めて瀟洒な二層の楼閣建築である。この建物は元和9年(1623)三代将軍徳川家光が上洛した際に、佐久間将監に命じて京都二条城内に造営させ、当時は三笠閣と称したと伝えられる。その後これを乳毋春日局に賜り、局はそれを夫の稲葉侯の江戸邸内に移したのであったが、明治14年(1881)には更に牛込若松町の二条公邸に移築、大正11年三溪のもとに贈られ、三溪園に移された。二条城内の当初の位置は判明しないが、庭園建築として建てられたものであろう。類例の極めて少ない重要な遺構である。

 本日(2日)届いた賀状61通。うち返事をしなければならない賀状9通。それらを済ませ、アレックスの散歩をして、昨日の下絵の着色。そんな平凡な日が戻ってきました。
 着色は相変わらずの難しさでした。特に今回のテーマは背景の緑をどう表現するか、手前の笹群をどう表現するか等です。背景はまあまあと思いますが手前は手抜きです。でもまあ、雰囲気としてはこんなものでいかがでしょうか?

category: ┗ 風景05年

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明けましておめでとうございます。  

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 本年もよろしくお願いいたします。

#結局、このように、昨年最後に描いた絵を使った賀状になりました。

category: ┗ 風景05年

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