横浜・三渓園臨春閣第3屋を描く:F8 
2005/01/03 Mon. 15:41 [edit]
いよいよ明日から仕事開始。今年は曜日の関係で仕事の始まりがどうしても早く感じてしまう。
このページ、今までアクセス状況がわからなかったので、アクセスカウンターとアクセス解析のソフトを設定した。これで少しは状況がわかるようになったかな?
本日(3日)は、またまた横浜三渓園から今度は臨春閣を描くことにしました(三渓園はもう少し描くつもりです)。今回は少し広い範囲を描くことにしたのでF8を使うことにしました。
勢い込んでF8にしたのは良いが、今日中に仕上げてしまおうと思って急いだので、十分バランスを考えないまま進めてしまい、いくつか失敗してしまいました。
色の重なりは仕方ないとしても、背景の樹木の正面の建物(第3屋)から生えているように見えてしまうのは悲しいものです(^^ゞ。まあ、こうやって成長していくのですからご勘弁を。
この建物は、公式サイトでは、次のように説明されています。
臨春閣
慶安2年(1649)紀州徳川家の初代頼宣が和歌山市の東北三里、紀ノ川沿いに建てた夏の別邸巖出御殿であった。藩公は江戸出府に際して常にここに宿泊し、宝暦14年(1764)の取り壊しの際、泉佐野の長者飯野左太夫に与えた。飯野氏はこれを大阪春日出新田に別荘として建てた。その後150余年を経て清海氏が所有し、八州軒と称されていたが、明治39年原三溪が譲り受け、大正4年に起工、6年に移築が完了、改めて臨春閣と命名した。臨春閣は、第一屋、第二屋、第三屋からなっている。一屋と二屋の関係は創築当初のままであるが、三屋は当初、現在と異なって一屋の背後にあった。二屋はもと紀ノ川にのり出して建てられていた。臨春閣の襖絵は狩野探幽、同安信、同常信、同周信、雲澤等悦などによって描かれている。
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