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 … 風景画の部屋 …  


 「水彩による風景画」生活の日常を綴ったブログ日記です。
 絵を描き始めた頃の絵は「絵画ギャラリー」に、そして最近(2007年~)の絵は「Facebook」に展示しています。

 「水彩画教室(四季彩の会)」の詳細はこちら。(室内教室は戸塚駅周辺、戸外スケッチは横浜全域から周辺地域)
 ●4月の室内教室は以下のとおりです。見学の方はこちらへどうぞ。 
 ・4月08日(月)多目的S中12:45〜17:00(各自)
 ・4月15日(月)多目的S中12:45〜17:00(共通)
 ・4月19日(金)多目的S中10:00〜14:45(各自)
 ・4月26日(金)多目的S中10:00〜14:45(共通)
 ●(2024年04〜06月)の会員向け日程はこちら。(パスワードが必要) 

横浜・三渓園臨春閣第3屋を描く:F8  

横浜・三渓園臨春閣第3屋を描く:F8

 いよいよ明日から仕事開始。今年は曜日の関係で仕事の始まりがどうしても早く感じてしまう。
 このページ、今までアクセス状況がわからなかったので、アクセスカウンターとアクセス解析のソフトを設定した。これで少しは状況がわかるようになったかな?

 本日(3日)は、またまた横浜三渓園から今度は臨春閣を描くことにしました(三渓園はもう少し描くつもりです)。今回は少し広い範囲を描くことにしたのでF8を使うことにしました。
 勢い込んでF8にしたのは良いが、今日中に仕上げてしまおうと思って急いだので、十分バランスを考えないまま進めてしまい、いくつか失敗してしまいました。
 色の重なりは仕方ないとしても、背景の樹木の正面の建物(第3屋)から生えているように見えてしまうのは悲しいものです(^^ゞ。まあ、こうやって成長していくのですからご勘弁を。

 この建物は、公式サイトでは、次のように説明されています。

臨春閣
 慶安2年(1649)紀州徳川家の初代頼宣が和歌山市の東北三里、紀ノ川沿いに建てた夏の別邸巖出御殿であった。藩公は江戸出府に際して常にここに宿泊し、宝暦14年(1764)の取り壊しの際、泉佐野の長者飯野左太夫に与えた。飯野氏はこれを大阪春日出新田に別荘として建てた。その後150余年を経て清海氏が所有し、八州軒と称されていたが、明治39年原三溪が譲り受け、大正4年に起工、6年に移築が完了、改めて臨春閣と命名した。臨春閣は、第一屋、第二屋、第三屋からなっている。一屋と二屋の関係は創築当初のままであるが、三屋は当初、現在と異なって一屋の背後にあった。二屋はもと紀ノ川にのり出して建てられていた。臨春閣の襖絵は狩野探幽、同安信、同常信、同周信、雲澤等悦などによって描かれている。

category: ┗ 風景05年

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