
こちらは、横浜市内でも代表的な歴史的建造物です。誰が見ても、この建物の重厚感には圧倒されるものがあると思います。かっては「横浜正金銀行本店本館」として使われていたようですが、今は、県の歴史博物館となっています。
通常は、この反対側のアングルを絵や写真にすることが多いのですが(いずれ私もそうした絵を描くかもしれませんが)、手前の広い道路から垣間見えるこうした景観も大切にしたいものです。
#その意味では、右手前の木の位置は気をつけて欲しかったですねぇ。 この建物については、
この「歴史的建造物を訪ねよう」というページの最下段に次のような説明があります。
1904年(明治37年)建造。明治建築界の三巨頭(注)のひとりである妻木頼黄の代表作のひとつ。本格的様式建築のこの建物は、正面および両側隅部に大きなペディメントを設け、壁面は窓ごとに大オーダーの柱形を出してバロック的効果を強調している。関東大震災以前の横浜の経済的繁栄を象徴する建物で、国指定の史跡でもある。
横浜市の歴史的建造物について、さらに関心をお持ちの方は、こちらのページ
「写真集・横浜の歴史的建築物」や、こちらのページ
「横浜 ライトアップ建造物」がお薦めです。
これを契機に、こうした建物や町の風景の絵も、時々は掲載していきたいと思います。
#また、カテゴリーを増やさないといけないかな(^^ゞ?
注:三巨頭とは(http://homepage1.nifty.com/tokaicore/index.html より)
日本銀行本店(1896年)・東京駅(1914)などを設計し、工部大学校・工科大学(いずれも東京大学工学部の前身)教授を務めた辰野金吾、宮内省にあって奈良帝室博物館(1894年)・赤坂離宮(1909年)などの宮廷建築を手がけた片山東熊と並んで、「明治建築界の三巨頭」のひとりに数えられる。
妻木の設計になる建築としては、東京府庁舎(1894年)・広島仮議院(94年)・日本勧業銀行本店(99年)・横浜新埠頭1号・2号上屋(1913・1911年)・日本橋(11年、意匠設計)などを挙げることができる。また、興味深いところでは、臨時建築局時代のドイツ留学の経験をいかしたものか、大阪麦酒・日本麦酒・丸三麦酒という3ビール会社の工場の設計にも携わってもいる。ちなみに今日でも目にするビヤホールという呼称も、大のビール党であった妻木の命名によるものだった。このように,明治政府の営繕官僚のトップとして、数多くの官庁建築に関わったほか、その仕事の傍らで、民間からの依頼による設計もこなしていたのである。以上のような業績の中でも、横浜正金銀行本店は完成度の高さから、妻木の代表作と位置づけることができよう。
・ワーグマン/F4/荒目/ブロック/白色/紙厚不明
・建物を特に印象づけたいと思い、左の建物と手前の木に挟まれた部分だけを着彩することにしました。