村はずれの秋:F6横 
2010/11/30 Tue. 21:46 [edit]

<F6:ウォーターフォード>
伊那谷の秋。
私にとって格別の思いを感じるのは「なまこ壁の蔵」と「柿の木」。実家がそうだったから…というわけでも必ずしもないと思う。しかし、今ではなかなかそういう風景にうまく出会えない。
この風景、車を走らせていた時ふと目に留まったもの。出会ったのはどこでだったか、記憶もあやふやになってきたが…。
枯れ草の生い茂るこうした風景は、筆だけではなかなか描けない。なので鉛筆をかなり使って淡彩気味に描いている。とりわけ今日は絵を描くのは気分的にしんどいので、ちょっとスケッチ感覚で…。
今日で11月も終わり。あと1ヶ月で2010年も終わり。
category: ┗ 風景10年
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秋・夕暮れ時の境内:F8横 
2010/11/26 Fri. 02:45 [edit]

<F8:ウォーターフォード>
ここは瑠璃寺の本堂・瑠璃光殿。
もうすでに夕暮れ時。本堂はもう影になってしまっているが、夕陽を受けた紅葉の雰囲気が気に入ったので描いてみる気になった。
(こういう言い方はあまり好みませんが)透明水彩は引き算の絵だと言われます。彫刻がそう言われると同様に描くものを彫り込んでいくような作業に見えないこともありません、そう言われるのでしょう。
特にこうした明るい部分を残していく表現はそれが小さいとなかなか厄介なものです。これが水彩の特に難しいと言われるところの一つかもしれません。できるだけマスキングは使わないようにはしているのですが、私にとっても面倒で苦手です(^^ゞ。
絵を描くようになって、引き算と言われる理由にもう一つあるかも…と思うようになりました。透明水彩を描く人は良く「洗う」という表現を使います。描きすぎたところ、やり過ぎたところを洗うことによって明るくしたり目立たなくするのです。あるいはむしろ積極的に、洗うことによって透明水彩の色調に深みを増すような手法として使っている人もいるくらいです。
いずれにしても私は、(透明)水彩画には、人々が抱いているイメージの巾が広く、また様々な表現の可能性もあるように思います。それだけに挑戦のしがいがあるような気もするのです。
category: ┗ 風景10年
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微かな秋の陽:F6縦 
2010/11/22 Mon. 23:07 [edit]

<F6:ウォーターフォード>
ここは瑠璃寺の観音堂だろうか?
たまたま秋の日射しが杉の木立の合間から差し込んできた。その瞬間を描きたかったのですが…。
私が思うに、透明水彩は薄い色彩・明るい色彩が難しい。ちょっとした不注意で予想以上に色が濃くなってしまう、濁ってしまう。こんな時は、上からどんどん明るい色で修正していける油彩がうらやましいと思うことがある。
しかし、これも透明水彩を選んだ宿命。
今回は、パステルでちょっとごまかし(^^ゞ。
category: ┗ 風景10年
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つかの間の秋の陽:F8横 
2010/11/21 Sun. 11:55 [edit]

<F8:ウォーターフォード>
先日、久しぶりに田舎に帰ってのこと。
#私の田舎は市田柿の発祥の地・高森町の天竜川を挟んで対岸ですが…。
高森町には「瑠璃寺」という900年の歴史を有する天台宗の寺があります。
絵になる風景を求めてここを訪れた時、曇っていた空がつかの間の陽を見せてくれたのです。これは、その印象がなかなか良いかな?と思ったので描いてみたものです。
伊那谷の春祭りには獅子舞が出るのですが、そうした中でもここの獅子は特に素晴らしいものです。それを皆さんに是非ご紹介したいと思います。こちら、「カバさんのページ」が良く紹介してくれていますのでリンクを張らせていただきます。このページの下の方の表中にあります獅子舞のところをご覧下さい。
#伊那谷では獅子舞というのはこういう形のものを言うのですが、実は、この10年近く前まで私はこうした獅子舞が伊那谷に固有のものだというのを知らなかったのです。皆さんは見たことありましたか?そう言えば、長野オリンピックの閉会式には出演しているようですが…。
#動画も見つかりました。「瑠璃寺の獅子舞」。
#そういえば「東野大獅子」もお薦めです。
#さらに言えば、これらは胴体部に車がついていたりして儀式的な「舞」が中心ですが、私の村の獅子は「暴れ獅子」で十数人が太鼓お囃子を内包したそれを担ぎ境内中を観衆(子供など)を追い回すように駆け回るものだったりするのです。子供の頃の最も楽しい出来事の一つでした。こんなページ「南信州獅子舞フェスティバル」もありましたのでご紹介しておきます。獅子舞とは言っても「牛」だったり「虎」だったりとなかなか多彩です。
#ついでに寺の前にあった碑文を紹介させていただきます。
「一隅を照らすこれ即ち国の宝なり」 天台宗祖伝教大師・「山家学生式」より
#どうやら私の友人が使っている雅号(ハンドル・ネーム)はこれから来ているらしい(^_^)。
category: ┗ 風景10年
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秋の空気の中で(目黒自然教育園):F8横 
2010/11/19 Fri. 22:27 [edit]

<F8:ウォーターフォード>
先日、個展巡りをした日のこと。ついでに足を伸ばしてここ「目黒自然教育園」に行き、秋の空気を堪能してきました。
以前描いたひょうだん池も覗いてみましたが、私には暗すぎます。そこで今まで気になりながら描いたことのなかった水生植物園の池の秋の風景を描いてみました。
先日、田舎の村祭りに合わせて、「田舎に帰ろうツアー」なるものを村が企画してくれて、往復のバスをチャーターしてもらえるなんてことがありましたので、それに便乗して帰省してきました。
そのため一週間ぶりの絵です。
本日、NHK教育TVで22:00から“美の壺 「横浜スペシャル(前編)}洋館・橋・レンガ建築美観に秘められた物語”が放送されました。何気なく見ている横浜の風景ですが、都市のデザインという観点からどのような努力が積み上げられてきているか、その一端がちょっと紹介されています。
そのうち再放送もされるでしょうし、後編も放送されるでしょう。横浜を知っている人はもちろんですが、知らない人にも是非ご覧いただきたいものです。
category: ┗ 風景10年
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急逝した親友の写真遺作展のご案内 
2010/11/16 Tue. 21:08 [edit]

会場への道、詳細な地図は「こちらをどうぞ!」
私と同じような仕事をしながら、まちづくりに情熱を傾けていた30年来の親友が一人いました。
#私が都市計画を、彼は商業の賑わいを主要なテーマにしていたという違いがあり、だからこそ、お互いに協力し合って行くことも可能だったわけですが…。
昨年の夏、その彼が体調を崩して診察を受けたのですが、結果は「手の施しようがない」という非情な宣告。そして彼が死を迎えたのはそれからたった2週間半ほどのこと。
田舎育ちの私とは違い都会育ちだからでしょうか?様々なことに関心を持ち、それぞれで優れた才能を発揮した多才な彼でしたが「写真」もその一つでした。
その彼の写真遺作展が開催されます。こういう人間がいたという存在証明のような彼の最後の個展です。
皆様にも是非ごらんいただきたく思いましたので、ささやかですが私のこのページを使って紹介させていただきます。
企画された奥様に敬意を表しつつ…。
category: ┗展覧会・画家
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樹間から見る十番館:F6横 
2010/11/10 Wed. 22:15 [edit]

<F6:ウォーターフォード>
本日の教室(季の会)は、もともとは赤レンガ倉庫の予定だったが、APECの警備のため港の見える丘公園に変更。
ここは今までも何回かやっていて、ベイブリッジもイギリス館も何回も描いている。大佛次郎記念館もすぐ近くにあるのだが、この建物のデザインはどうしても好きになれず描く気になれない。皆も今日はどこか違ったところを描こうということになり、山手洋館の方へ足を伸ばすことにした。
ここ十番館は、横浜の山手西洋館の中に入っていない。どうやらレストラン・山手十番館として山手西洋館散策ルートにあたることから、明治百年祭を記念して昭和42年に開館された民間の建物のようだ。
この建物は以前にも描いたことがあるが、ここを描くのに良さそうだと思っていたポイントがもう一つあったのでそこへ行ってみた。しかし、すでに先客が数人いて同じアングルで描いていた。仕方ない。私は先客の邪魔にならないよう、あちこち歩き回りながら木々の間からチラッと見えるこの建物を描いてみた。
今回は、手前の木が茂りすぎていて建物の大半を隠してしまっていることや、殆どが逆光になってしまっていた風景だった、ということもあったりして、ちょっと難しかったかも。
category: ┗ 風景10年
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夕暮れの横浜港:F4横 
2010/11/09 Tue. 22:19 [edit]

<F4:ウォーターフォード>
先日、個展巡りの後、友人達との中華街での飲み会を控えていたので、久しぶりに横浜駅(東口)から山下公園までシーバスを使ってみた。
そろそろ夕方の低い日射しが船を照らしていた。そんな風景を簡単に描いてみた。
#シーバスの乗客は私一人。乗員が3人もいるのに…である。存続して欲しい乗り物なのでもっと乗客はいてくれないと心配してしまう。
先日巡った個展の一つで、日本スケッチ画会・理事長五十嵐吉彦さんとお話しさせていただいた。
その設立趣旨やその普及を図ろうとしている淡彩水彩スケッチ画の定義などは、このページに描かれているとおりであるが、要するに以下のような点を基準としたもののようだ。
・携帯に便利なF4以下を基準として2~3時間で簡単に描けること
・鉛筆やペンによるスケッチの線を活かし、紙の白さを活かし、透明水彩絵具で描けること
私のページにも、スケッチのカテゴリーを設けているが概ねそれが該当すると思って良いだろう。ただ、私自身は、最近鉛筆の線を目立たなくさせて描こうとしているが、素早く描こうとするとやはり鉛筆スケッチをした上で着彩した方が遙かに早いことは確かである。
今日の絵は、そんな趣旨を考慮しながら2時間弱で描いてみた。
色彩が足りないと思ったので、最初にアップしたものにちょっと手を入れて見ましたが…(^^ゞ。
category: ┗ 風景スケッチ01
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展覧会巡りをしながら 
2010/11/05 Fri. 07:04 [edit]
今朝のフジテレビ番組、「とくダネ!」で、11月3日にオープンした日本初の写実絵画専門美術館である「ホキ美術館」が紹介されているのを見た後、久々に銀座に出て展覧会巡りをしてきた。
最近、いろいろな人の絵を見ながら考える。この人は何を考えてこういう絵を描いているんだろうか?と…。
そして同時に、自分の求める絵というのはどういうものだろう…なんて、ちょっと他人事のように考えてみる。
自分も含めてだけど、いろいろな人が描く様々な絵、これを<絵の姿>として捉えてみると、どうも下図の二等辺三角形のように考えてみるとわかりやすいかなぁ…なんて思ってみたりした。
#<絵の姿>なんて、私が勝手にそう呼んでいるだけですが…。

この画像を作成したソフトはCanvas ver3.5。一度壊れて修復したこのWindowsXPで、今まで使っていたVer6が動かなくなったので、かってお気に入りだったVer3.5を入れてみたらこちらが使えるようになった。何だか複雑な気分(^^ゞ。
今朝のホキ美術館の絵はその頂点に近いもの。スーパーリアリズムなんて呼ぶ人もいる。古典的な絵もこれに近いのかもしれない。
時代を経るにつれて画家達はその底辺を広げてきた。今や、絵の具を使用するあらゆる二次元的表現を絵画と呼んでも良いのかもしれない。何をどんな風に描いても許される。
しかし絵画は自己表現でもあるから、必ず自分の思いがそこに表現されている筈。描く人はいつも自分と対象の間で惑いながら筆を動かしているように思う。
底辺に近いところでは抽象・心象等々何でも良いけど、自分の思いにもとづいて表現するあらゆる絵画を考えれば良いのかもしれない。底辺ほど自分の思いが強く表れ、様々な表現があり得る。頂点にあってもそこに自分をどう表現するのが考える…絵とはそんな世界なのかもしれない。
どう絵を描こうかと考えるとき、この三角の中でどのあたりが自分の求める世界なのか、どのあたりにいるのが心地よいと思うのかを考えるが、それも少しずつ変化しているのもわかる。つまり、対象と自分との距離のとり方と言ったら良いのか…。
絵は「自分発見の旅」だという風に言う人もいるが、そういう状態を指しているようにも思ったりする。
私が描くのは風景だし、見た風景から感じたものを表現したいとなるとどうしても具象=「形」からは逃れられないと思っている。それに私自身、絵で自己表現をするなんて考えたこともないし…(^^ゞ。
しかし写実表現を目指すような、そんな大作を描く状況にも、油彩を使う状況にもないから、この三角形の頂点を目指すことにもならないだろうというのは自分でも感じている。
絵を描き始めた頃は、いかに風景を見たままに描けるか…なんて考えていたように思う。しかしある程度自由になってくると見たまま描こうとするのがつまらなく感じるようにもなってきた。写実表現を目指す画家以外の大半の画家が見たとおりになんて描いていないじゃないか…と思った途端に気が楽になり、筆も気楽に動くようになってきたようだ。
「油彩はマチエール、水彩はスタイル」という言葉を聞いたことがあるが、絵にあらゆる表現が許される限り万人に好まれる絵なんてあり得ない。要は自分のもっとも気に入ったスタイルを見つければ良いのかな?と思えるようになってきている(#そのあたりになるとまだまだ自由にならない部分が大きいんだけど…)。そして、そのスタイルを気に入ってくれる人がいればそれが一番の幸せってことなんだろうと…。
まあそんなことも時には考えたりするってことで…(^^ゞ。
最近、いろいろな人の絵を見ながら考える。この人は何を考えてこういう絵を描いているんだろうか?と…。
そして同時に、自分の求める絵というのはどういうものだろう…なんて、ちょっと他人事のように考えてみる。
自分も含めてだけど、いろいろな人が描く様々な絵、これを<絵の姿>として捉えてみると、どうも下図の二等辺三角形のように考えてみるとわかりやすいかなぁ…なんて思ってみたりした。
#<絵の姿>なんて、私が勝手にそう呼んでいるだけですが…。

この画像を作成したソフトはCanvas ver3.5。一度壊れて修復したこのWindowsXPで、今まで使っていたVer6が動かなくなったので、かってお気に入りだったVer3.5を入れてみたらこちらが使えるようになった。何だか複雑な気分(^^ゞ。
今朝のホキ美術館の絵はその頂点に近いもの。スーパーリアリズムなんて呼ぶ人もいる。古典的な絵もこれに近いのかもしれない。
時代を経るにつれて画家達はその底辺を広げてきた。今や、絵の具を使用するあらゆる二次元的表現を絵画と呼んでも良いのかもしれない。何をどんな風に描いても許される。
しかし絵画は自己表現でもあるから、必ず自分の思いがそこに表現されている筈。描く人はいつも自分と対象の間で惑いながら筆を動かしているように思う。
底辺に近いところでは抽象・心象等々何でも良いけど、自分の思いにもとづいて表現するあらゆる絵画を考えれば良いのかもしれない。底辺ほど自分の思いが強く表れ、様々な表現があり得る。頂点にあってもそこに自分をどう表現するのが考える…絵とはそんな世界なのかもしれない。
どう絵を描こうかと考えるとき、この三角の中でどのあたりが自分の求める世界なのか、どのあたりにいるのが心地よいと思うのかを考えるが、それも少しずつ変化しているのもわかる。つまり、対象と自分との距離のとり方と言ったら良いのか…。
絵は「自分発見の旅」だという風に言う人もいるが、そういう状態を指しているようにも思ったりする。
私が描くのは風景だし、見た風景から感じたものを表現したいとなるとどうしても具象=「形」からは逃れられないと思っている。それに私自身、絵で自己表現をするなんて考えたこともないし…(^^ゞ。
しかし写実表現を目指すような、そんな大作を描く状況にも、油彩を使う状況にもないから、この三角形の頂点を目指すことにもならないだろうというのは自分でも感じている。
絵を描き始めた頃は、いかに風景を見たままに描けるか…なんて考えていたように思う。しかしある程度自由になってくると見たまま描こうとするのがつまらなく感じるようにもなってきた。写実表現を目指す画家以外の大半の画家が見たとおりになんて描いていないじゃないか…と思った途端に気が楽になり、筆も気楽に動くようになってきたようだ。
「油彩はマチエール、水彩はスタイル」という言葉を聞いたことがあるが、絵にあらゆる表現が許される限り万人に好まれる絵なんてあり得ない。要は自分のもっとも気に入ったスタイルを見つければ良いのかな?と思えるようになってきている(#そのあたりになるとまだまだ自由にならない部分が大きいんだけど…)。そして、そのスタイルを気に入ってくれる人がいればそれが一番の幸せってことなんだろうと…。
まあそんなことも時には考えたりするってことで…(^^ゞ。
category: ●絵への思い
tb: -- cm: 4
聖橋から見る神田川:F8横 
2010/11/01 Mon. 22:05 [edit]

<F8:ウォーターフォード>
御茶ノ水駅周辺では、恐らくこの風景も多くの人が描いているはず。
私もようやく描いてみようという気になって描いてみた。
#せっかくなので、中央線、総武線の列車も入れてみました。できれば下に見える線路・地下鉄丸ノ内線にも…とも思ったが、あまりにもわざとらしい気がしたのでそれはヤメにしておきました(^^ゞ。
category: ┗ 風景10年
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