中長期エネ政策に関するパブコメ 
2012/08/13 Mon. 14:15 [edit]
12日、中長期的なエネルギー政策に関する政府のパブリックコメントが締め切られました。
これまでもこれに応募すべきかどうか迷っていました。この手のパブコメ、結局受け手の意志次第。「参考にした」の一言で処理されかねません。この仕組みに疑問を感じていたからです。
しかし、他に自分の意志を伝える場がない以上、ここで出しておかないと後悔するかもしれないと思い、締め切り間際になってしまいましたが、急遽提出しました。
したがって、これを受け取る政府、あるいは原発推進側に対する意見書のような意味合いがやや強くなっています。
公開するほどの内容ではありませんが、このページに脱原発の記事を書いてきた私自身の一応のけじめとして、ここに記すことにしました。
以下がその内容です。一部文言を手直ししています。
【概要】100字以内
ゼロシナリオ・即廃炉:地震国である我が国には原発は不適。現状でも原発がなくても電力は充足、むしろ代替エネの発達を阻害している。不正を常とする運営母体(原子力ムラ)では安全確保不可。
【本文】2,500字以内
福島第一原発事故を経験し、地震国我が国には原発が不適であり、それを管理できる体制が整っていないことも明らかになっている。しかも、これまでの原発立地その運営等においても、適正公正な審査を行わず多くの虚偽を重ねてきていることも明らかになっているにも拘わらず、今回の事故の責任を誰一人とっていないということは、社会倫理としてもこの国の正常な発展を阻害するものである。
この夏を経験するまでもなく、原発がなくても電力は充足していることは明らかとなっており、企業・家庭の自家発電等の進展、人口減少等もあって電力会社が供給すべき(つまり原発によって供給する必要がある)電力の需要減も明白である。
原発を推進するがために膨大な広告費・政治献金等を行い、その結果として電力価格も高額となることにより既存産業の適正な発展・国際競争力を阻害してきたことは厳然とした事実であり、原発推進を進めることによって将来的なエネルギー産業の発展をも阻害しているということは、我が国経済の適正な発展にとっても好ましくない。
原発はすでに過渡的なエネルギー・過去の技術でもあり、極めて限られた国の技術であると考えるべきである。開発途上国でも化石燃料は基本になるとしても、将来を考えれば原発より地域の特性に合わせた自然再生エネルギーが主要なエネルギー源になっていくものと考えるのが自然であろう。つまり将来性のない過去の技術にすがるのではなく、より大きな可能性のある自然再生エネルギー開発に早急に舵を切る方がより明るい未来に向かう道であると考える。
一方、原発の技術発展がどれほどあろうと、事故責任を問えず東電を破綻処理することできない政府のもとで、今ですら情報公開も行っていない不公正な運営管理を行ってきた推進母体(電力会社、保安員、原子力委員会等いわゆる原子力ムラと呼ばれる仕組み)が今後も安全な原発の運営管理を行える筈もない。また、安全な原発を維持しようとすればこれまで以上の高額の電力価格にならざるを得ない筈であるし、それでも万が一にでも再び事故が起これば、生物学的にも、社会的にも、国際的にも日本の存続は不可能になると考えざるを得ない。
こうした状況の中で、原発を存続させる必要性・意義がどこに見いだせるのだろうか?
使用済み核燃料の保管場所も限界に近い。その再処理技術開発にも膨大な無駄を費やしているとしか考えられない。我が国の安全保障のために原発が必要だと言う者もいるが我が国では既に原爆に必要な量は十分確保されている。原発と安全保障の問題は分けて考えるべきである。
我が国の信じられる未来のためには、核燃サイクルも放棄し全ての原発の廃炉に向かうべきである。
これまでもこれに応募すべきかどうか迷っていました。この手のパブコメ、結局受け手の意志次第。「参考にした」の一言で処理されかねません。この仕組みに疑問を感じていたからです。
しかし、他に自分の意志を伝える場がない以上、ここで出しておかないと後悔するかもしれないと思い、締め切り間際になってしまいましたが、急遽提出しました。
したがって、これを受け取る政府、あるいは原発推進側に対する意見書のような意味合いがやや強くなっています。
公開するほどの内容ではありませんが、このページに脱原発の記事を書いてきた私自身の一応のけじめとして、ここに記すことにしました。
以下がその内容です。一部文言を手直ししています。
【概要】100字以内
ゼロシナリオ・即廃炉:地震国である我が国には原発は不適。現状でも原発がなくても電力は充足、むしろ代替エネの発達を阻害している。不正を常とする運営母体(原子力ムラ)では安全確保不可。
【本文】2,500字以内
福島第一原発事故を経験し、地震国我が国には原発が不適であり、それを管理できる体制が整っていないことも明らかになっている。しかも、これまでの原発立地その運営等においても、適正公正な審査を行わず多くの虚偽を重ねてきていることも明らかになっているにも拘わらず、今回の事故の責任を誰一人とっていないということは、社会倫理としてもこの国の正常な発展を阻害するものである。
この夏を経験するまでもなく、原発がなくても電力は充足していることは明らかとなっており、企業・家庭の自家発電等の進展、人口減少等もあって電力会社が供給すべき(つまり原発によって供給する必要がある)電力の需要減も明白である。
原発を推進するがために膨大な広告費・政治献金等を行い、その結果として電力価格も高額となることにより既存産業の適正な発展・国際競争力を阻害してきたことは厳然とした事実であり、原発推進を進めることによって将来的なエネルギー産業の発展をも阻害しているということは、我が国経済の適正な発展にとっても好ましくない。
原発はすでに過渡的なエネルギー・過去の技術でもあり、極めて限られた国の技術であると考えるべきである。開発途上国でも化石燃料は基本になるとしても、将来を考えれば原発より地域の特性に合わせた自然再生エネルギーが主要なエネルギー源になっていくものと考えるのが自然であろう。つまり将来性のない過去の技術にすがるのではなく、より大きな可能性のある自然再生エネルギー開発に早急に舵を切る方がより明るい未来に向かう道であると考える。
一方、原発の技術発展がどれほどあろうと、事故責任を問えず東電を破綻処理することできない政府のもとで、今ですら情報公開も行っていない不公正な運営管理を行ってきた推進母体(電力会社、保安員、原子力委員会等いわゆる原子力ムラと呼ばれる仕組み)が今後も安全な原発の運営管理を行える筈もない。また、安全な原発を維持しようとすればこれまで以上の高額の電力価格にならざるを得ない筈であるし、それでも万が一にでも再び事故が起これば、生物学的にも、社会的にも、国際的にも日本の存続は不可能になると考えざるを得ない。
こうした状況の中で、原発を存続させる必要性・意義がどこに見いだせるのだろうか?
使用済み核燃料の保管場所も限界に近い。その再処理技術開発にも膨大な無駄を費やしているとしか考えられない。我が国の安全保障のために原発が必要だと言う者もいるが我が国では既に原爆に必要な量は十分確保されている。原発と安全保障の問題は分けて考えるべきである。
我が国の信じられる未来のためには、核燃サイクルも放棄し全ての原発の廃炉に向かうべきである。
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