地図から得られること 
2017/09/18 Mon. 06:39 [edit]
昨夜は、ブログで九州の若い友人のところが「河川が氾濫しそうだ」との記事を出しているのをみて、私の中学時代の災害のことを思い出しました。
以下、兄の思い出メールの抜粋と写真です。( )は私の補足です。
(昭和36年)36災害!!6月27日
325ミリを1日で記録した降水量はバケツをひっくり返した様だったと祖母や母は表現した。通年の6月平均降水量が230ミリだったのと比べると、いかに豪雨だったか。136人の死者、1600戸の全半壊流夫。特に29日(大鹿村)大西山崩落では42名、39戸が土砂の下に埋もれて行方知れず。私には、泥の海に埋もれた、我が工場、自宅…この記憶は鮮烈に残る。防災意識の根元となっている。
(その当時の天竜川の水位。GoogleMapで測定したら川幅約240mでした。)
(私には詳細は不明ですが、恐らく大西山崩落で亡くなった方々の鎮魂の碑でしょう。)
当時私は中学三年。
真夜中12時頃でしょうか?消防隊の方が避難を促しに来てくれました。
外に出たら既にヒザまでの水。確かに夕方頃には家のすぐ脇を流れていた用水路から水が溢れてはいましたが…。この後、家がどうなるか心配しながら身一つでの避難でした。
翌朝、避難先の親戚の家から見ると、家の周囲は水浸し。そして天竜川の堤防の向こうには荒れ狂う大波が見えていました。つまり、天竜川の支流から溢水した水で家が浸かっていたのでした。
幸い私の家は床下浸水で済みましたが、これはわずかに周囲より高かったこの地に家を建てた先祖のおかげ。しかし、周囲の家々は全て床上浸水でした。この後で知ったのですが、この時少し下流の堤防が決壊して同級生も含め多くの方々が家を失いました。
もちろん私にとっても強烈な災害体験でした。
台風の夜、途中で目が覚めてちょっと眠れなくなったので、FBを見ていたらこんな記事に気がつきました。
「地図好き集まれ!明治43年当時の地形図をどこでも見放題の神サイトが話題に!」
いつリンク先が見られなくなるかわからないので、主要な記事だけ抽出しておきます。
松本圭司 @keizi666
http://stanford.maps.arcgis.com/apps/SimpleViewer/index.html?appid=733446cc5a314ddf85c59ecc10321b41 …
すごい。明治43年帝国陸軍測量の1/50000地形図を見放題。神かよ。
五日市の地図を1枚だけ現物で持ってるけど、全国のを見放題ですよ、旦那。エリアをクリックして『詳細』を押すと見られます。
16:44 - 2016年8月4日
都市計画を学び始めた頃、様々な地図があることを知りましたが、この地図は最も重要なものの一つでしょう。
国土地理院からは何年か毎の地図が出ていますから、それを見れば土地がどのように改変されてきたかわかりますが、この地図は、言わば日本が大きな改造が進められる以前の基本情報です。アメリカは当然これを活用したことでしょうね。
私たちにとってこの地図が特に有用であるのはこの頃の地形情報です。例えば、今自分が住んでいる場所が当時何であったか?ということです。これである程度の水害危険、地震危険、等を推測することができます。
そして首都圏限定の地図でしたが「土地条件図」というのがありました。旧河道、盛土、切り土等々の土地の改変の履歴等を地図に表したものでした。これは直接災害危険を推測することができる貴重な地図だと思うのですが、残念ながらその後継続しては作られていないようです。
こうした地図は本来役所に備えられているべきだと思うのですが…。
ついでに書きますと、当時、空中写真がとても興味深いものだと感じたものです。
今ではGoogleMapで様々な情報が得られますが、それでは得られないものがあります。それが「立体視」によって得られる何倍も詳細な情報です。例えば電柱1本でも見分けることができるなんて信じられるでしょうか?
空中写真は常に60%ほどずつダブって撮影します。それによって同一地点の写真を2枚持ち、その視差によって立体視できるようになるわけです。国土地理院で空中写真から等高線を引くための機械を触らせてもらったこともありました。空中写真を「立体視」するための簡便なものですが専用の装置があることも知りました。仕事ではこれで山の斜面勾配の分析をしたこともありました。懐かしい思い出です。
おかげで装置がなくても、交差法、平行法など、自在に立体視できるようになりましたので、一時期流行った立体視本なども気軽に楽しく見ることができました。それに自分で撮る写真でも立体写真を作ることができます。
都市計画をやっていたことの余録?でしょうかね(笑)。
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