祈りの空間(大神神社):F6 
2013/12/07 Sat. 23:05 [edit]


ここは大和国一之宮三輪明神大神神社。これを「おおみわじんじゃ」と読むようです。
奈良でいくつかの神社を回るうち気づいたことがあります。境内に入る時、出る時、人々がお辞儀をしているのです。誰もが自然にそうしています。歴史というものはこういうものでしょうか…。
現代の私達はいつの間にかそうした心を失いつつあるのではないか…と、考えさせられる出来事でした。
建物はさすがにあまり下描きをしないで描くというわけにはいきませんので、参考のため、この絵の下絵を併せて掲載してみます。
その後、描き忘れたものがあり、もう少し手を加えたいと思いましたので加筆しました。私がどのようにしたいと感じたがわかっていただけるかもしれませんので、今回は敢えて2枚とも掲載してみます。
#ちょっと説明的になったかもしれませんが…。

私のデモンストレーション・ビデオを作成してくれた正木様(その後滋賀県の方に移転されてしまいましたが…)が、この絵がどのように変わったのかをわかりやすく示したページをつくってくれましたのでご紹介します。
参考になることがあれば幸いです。
category: ┗ 風景13年
« 「冬の日本透明水彩会 11人展」のお知らせ
街を望む(奈良):F6 »
コメント
作品を拝見させていただきました
私は写真や絵を合成加工したオリジナルCG作品をブログで公開しています。かろうじてお仲間かもしれませんが、方向性は正反対かもしれません。眼に見えないものを表現したいタイプです。のび太さんの率直な感性を少々羨ましくも思います。私は見たものの表にも裏にも疑念を持ってしまいます。しかし、人間にはできることしかできず、優れた点ではなくそれしかできないものが才能だと思い、誰もついてこない自分の道を進んでいます。後悔がなければそれでいいと思っています。
Standa1one #- | URL
2013/12/09 10:14 | edit
>Standa1oneさん
コメントありがとうございます。
率直な感性とおっしゃっていただきましたが、今の私にはせいぜい風景から感じとった雰囲気や空気感のようなものを表現しようとすることが精一杯です。さらに深めていけば、時間や五感ににひびくなにかや、さらには自分の気持ちのようなものを描くことができるようになるかもしれませんが、まだまだ先の話しでしょう。
形にとらわれないで…という思いと、形にとらわれようとしてる自分との争いがまだ続いています。
Standa1oneさんページを見せていただきました。私にはまだ理解が難しい面がありますが、絵とは個性の表現だという言い方もあるようです。100人の理解者よりたった一人の熱烈な理解者の方が重要だとも言うようです。
いずれにしても自分の道を進むしかないようです。いつもそれ以前の自分を乗り越えたいとは思っているのですが…。
そう思いながら描いています。
またたまには覗いてみて下さい。
のび太 #ff.uBqoo | URL
2013/12/09 15:21 | edit
| h o m e |