甥の結婚式と同級会(2次会)(2日目) 
2016/06/18 Sat. 22:59 [edit]
さて翌日18日(土)は快晴。
時間もあったので実家の周辺を撮影。もちろん私の子供の頃とは随分違ってしまった。私にはあの頃の風景が懐かしい。

子供の頃遊んだ天竜川の風景。対岸は市田柿の地元である「市田」。かって、天竜下りの舟は対岸から出ていた。
昔はこの川は「暴れ天竜」の異名の通り、乱流を繰り返していたから中州にもほとんど緑なんてなかったが、今では大きな木も育っているようだ。流れも大きく変わっている。
正面に大きく見える山が飯田市のシンボル「風越山」。3枚目の写真のややとがった山頂を持つ山が烏帽子ヶ岳らしい。


そのまま近くを散策してみた。
ここは天竜川河岸段丘の一番低いところ。
昔の写真を見ると、私の実家ともう一軒(綿屋)くらいしかなかったが、今では村の中心地になってしまった。
少し高台になっているのが最初の河岸段丘。


遠方の段丘上にあるのが、私の出身中学校。

役場の前に通りかかったら、丁度消防の訓練中だった。
今はタチアオイの季節。この花が最上部まで咲くと梅雨が終わると言われているらしい。


午後過ぎ、結婚式場へ。
最初はちょっと地味な結婚式かと思っていたが、披露宴中はスクリーンにPhotoShowerというソフトなのかどうか、会場の各自のスマホと連携して投稿した写真画像がシャワーのようにクルクル回りながら落ちて来たり、TVの「ミリオネア-」などというクイズ番組を模したイベントがあったりと、今時の趣向が凝らされていた。
そして、披露宴の締めくくりは花火。さすがにこれは今まで考えたこともなかった。(画像は兄のスマホから借りた)。
しかし、本当は式の形式などはどうでも良い。私には、ジンと来る新婦の高校時代の先生や、友人らの暖かな言葉などから、「若い二人の今後に幸あれ!」と当然のように願う気持ちが強くなる。今回もそんな結婚式だったように思う。


その後、同級会会場へ合流。
しばらくの間、何もかも許し合えるような気のおけない仲間と大いに騒ぎ、笑いあって散会。
そう言えば、私が絵を描いていたことは小学校低学年までのことかと思っていて、その後はどんな絵を描いていたか記憶の彼方なのだが、友人達の方が私の絵を覚えているようで意外だった。結構描いてはいたらしい(^^ゞ。
時間もあったので実家の周辺を撮影。もちろん私の子供の頃とは随分違ってしまった。私にはあの頃の風景が懐かしい。

子供の頃遊んだ天竜川の風景。対岸は市田柿の地元である「市田」。かって、天竜下りの舟は対岸から出ていた。
昔はこの川は「暴れ天竜」の異名の通り、乱流を繰り返していたから中州にもほとんど緑なんてなかったが、今では大きな木も育っているようだ。流れも大きく変わっている。
正面に大きく見える山が飯田市のシンボル「風越山」。3枚目の写真のややとがった山頂を持つ山が烏帽子ヶ岳らしい。



そのまま近くを散策してみた。
ここは天竜川河岸段丘の一番低いところ。
昔の写真を見ると、私の実家ともう一軒(綿屋)くらいしかなかったが、今では村の中心地になってしまった。
少し高台になっているのが最初の河岸段丘。




遠方の段丘上にあるのが、私の出身中学校。


役場の前に通りかかったら、丁度消防の訓練中だった。
今はタチアオイの季節。この花が最上部まで咲くと梅雨が終わると言われているらしい。



午後過ぎ、結婚式場へ。
最初はちょっと地味な結婚式かと思っていたが、披露宴中はスクリーンにPhotoShowerというソフトなのかどうか、会場の各自のスマホと連携して投稿した写真画像がシャワーのようにクルクル回りながら落ちて来たり、TVの「ミリオネア-」などというクイズ番組を模したイベントがあったりと、今時の趣向が凝らされていた。
そして、披露宴の締めくくりは花火。さすがにこれは今まで考えたこともなかった。(画像は兄のスマホから借りた)。
しかし、本当は式の形式などはどうでも良い。私には、ジンと来る新婦の高校時代の先生や、友人らの暖かな言葉などから、「若い二人の今後に幸あれ!」と当然のように願う気持ちが強くなる。今回もそんな結婚式だったように思う。



その後、同級会会場へ合流。
しばらくの間、何もかも許し合えるような気のおけない仲間と大いに騒ぎ、笑いあって散会。
そう言えば、私が絵を描いていたことは小学校低学年までのことかと思っていて、その後はどんな絵を描いていたか記憶の彼方なのだが、友人達の方が私の絵を覚えているようで意外だった。結構描いてはいたらしい(^^ゞ。
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