カニを食べに北陸へ…行って来ました(その2)  
2019/02/03 Sun. 22:50 [edit]
気持ち良く目が覚めたら既に7:00過ぎ。途中一度も目が覚めなかったなんて久し振りである。
窓から見える風景はこんな感じ(左写真)。まさに駅前である。
早速急いで朝食バイキング(右写真)。この後、果物とか飲み物とか…。今朝は控えめで(笑)。

金沢も今回で3回目。できるだけ廻っていないところにしたいと、今日の予定は「東茶屋街」と「21世紀美術館」、「長町武家屋敷」を廻ることにした。
持参した自転車用GPSはバスの中では有効だったが、ポケットに入れて歩き回っていた時には認識していなかったようだ。

<東茶屋街>
まずは「東茶屋街」。
「橋場町」バス停で下りて歩くのだが、浅野川の様子も見てみたかった。
何となく雰囲気は京都鴨川をちょっと小さめにしたような雰囲気…と言ったら良いか。



それらしい路地はすぐに見つかった。人の流れが違うのだ。
ここも中国人(らしいグループ)が多い。40年以上昔に訪れたところはどこだろうと思いながら人の流れに沿って歩いて行った。

この広場空間へ出た時、ふと既視感がした。記憶の片隅にあるような…そんな印象である。
だが、街並みの雰囲気は全く違ってしまっていた。 かっては、街並み全体が寂れた雰囲気で、もちろんこの道も当然舗装などされていなかった。その時、この中の一軒に入れてもらったことがあった。家の中に太い松の木があって、それがそのまま2階の床柱になっている家だった。確かこの左手の街並みだった筈と探してみても、そんな松の木はどこにも見えなかった。
今は、街並みもきれいになり色彩も鮮やかになった。かっては閉ざされていた入り口も新しい飲食の店になり、道には観光客が溢れている。しかもその多くは外国人である。


少し、感傷的な気分を抱えながら、表の道を歩き、路地に紛れ込んだ。







<兼六園>
次いで、21世紀美術館に向かおうと思ったが、乗るバスが良くわかっていなくて「出羽町」で下りることになったから、それはそれで都合が良い。兼六園をもう一度見て廻ることにした。
今後は、公園の風景というより興味深い風景を探すつもりで…。
もちろん入り口は地図の左側「小立野」からである。もちろんここは初めて使う出入り口である。







<21世紀美術館>
そのまま人気の施設「金沢21世紀美術館」へ…。
円形のプランに四角の箱を組み合わせただけの単純な、あっけらかんとした空間構成の美術館だが、展示作品の面白さや家具類等のデザインの斬新さもあって、このあっけらかんさが来訪者に居心地良さを感じさせてくれるのだろうと思う。
レストランでランチでも…と思ったのだが、待ちのリストが多すぎてあきらめた。


<長町武家屋敷(跡)>
次はかって絵を始めた頃、佐々木清氏の模写をしたこともあった武家屋敷を見ておこうとバスに乗った。
途中通過する寺町も見てみようとチラッと思ったりしたが、ここは無理しないようにして予定通り「香林坊」でバスを下りた。






<近江町市場>
そろそろ腹も減ったので、やっぱり近江町市場で昼飯でも…と寄ってみることにした。
「近江町海鮮丼」なるものを註文したのだったが、やはりこうした場所のコスパは良いとは言えない。それでも楽しむことが大切である(笑)。





* * * * *
ホテルに荷物を預けることもできたのだが、面倒だったのでリュックを背負って歩き続けたらさすがに疲れた。あとは駅近くのショッピングセンターなどで時間を潰したが、さすがに北陸の人気都市ということか、どこも人が一杯である。
「世界で最も美しい駅14選」の中に選ばれたということだが、設計期間が1993年~1998年くらいのようだから、まさにバブル時代に発想され、バブルがはじけてもひきついだ事業だったのだろう。鼓門だけで3億円かけているというから、それだけでも推察できる。
#バブル崩壊期間(平成不況(第1次平成不況)や複合不況とも呼ばれる)は、1991年(平成3年)3月から1993年(平成5年)10月までの景気後退期を指す。
しかし、世界のオリンピック競技場がせいぜい500億円だったのに対して、次期東京オリンピック陸上競技場では2500億円もかけるというのだから(その殆どを関係者が食いつぶすのだろうから)、そんな事業に比べれば可愛いものである。

* * * * *
いろいろ時間を潰しながらのんびりして、16:33予定の列車に乗り込んで帰浜。
この旅も無事に終了です。
窓から見える風景はこんな感じ(左写真)。まさに駅前である。
早速急いで朝食バイキング(右写真)。この後、果物とか飲み物とか…。今朝は控えめで(笑)。


金沢も今回で3回目。できるだけ廻っていないところにしたいと、今日の予定は「東茶屋街」と「21世紀美術館」、「長町武家屋敷」を廻ることにした。
持参した自転車用GPSはバスの中では有効だったが、ポケットに入れて歩き回っていた時には認識していなかったようだ。


<東茶屋街>
まずは「東茶屋街」。
「橋場町」バス停で下りて歩くのだが、浅野川の様子も見てみたかった。
何となく雰囲気は京都鴨川をちょっと小さめにしたような雰囲気…と言ったら良いか。





それらしい路地はすぐに見つかった。人の流れが違うのだ。
ここも中国人(らしいグループ)が多い。40年以上昔に訪れたところはどこだろうと思いながら人の流れに沿って歩いて行った。


この広場空間へ出た時、ふと既視感がした。記憶の片隅にあるような…そんな印象である。
だが、街並みの雰囲気は全く違ってしまっていた。 かっては、街並み全体が寂れた雰囲気で、もちろんこの道も当然舗装などされていなかった。その時、この中の一軒に入れてもらったことがあった。家の中に太い松の木があって、それがそのまま2階の床柱になっている家だった。確かこの左手の街並みだった筈と探してみても、そんな松の木はどこにも見えなかった。
今は、街並みもきれいになり色彩も鮮やかになった。かっては閉ざされていた入り口も新しい飲食の店になり、道には観光客が溢れている。しかもその多くは外国人である。



少し、感傷的な気分を抱えながら、表の道を歩き、路地に紛れ込んだ。














<兼六園>
次いで、21世紀美術館に向かおうと思ったが、乗るバスが良くわかっていなくて「出羽町」で下りることになったから、それはそれで都合が良い。兼六園をもう一度見て廻ることにした。
今後は、公園の風景というより興味深い風景を探すつもりで…。
もちろん入り口は地図の左側「小立野」からである。もちろんここは初めて使う出入り口である。












<21世紀美術館>
そのまま人気の施設「金沢21世紀美術館」へ…。
円形のプランに四角の箱を組み合わせただけの単純な、あっけらかんとした空間構成の美術館だが、展示作品の面白さや家具類等のデザインの斬新さもあって、このあっけらかんさが来訪者に居心地良さを感じさせてくれるのだろうと思う。
レストランでランチでも…と思ったのだが、待ちのリストが多すぎてあきらめた。




<長町武家屋敷(跡)>
次はかって絵を始めた頃、佐々木清氏の模写をしたこともあった武家屋敷を見ておこうとバスに乗った。
途中通過する寺町も見てみようとチラッと思ったりしたが、ここは無理しないようにして予定通り「香林坊」でバスを下りた。











<近江町市場>
そろそろ腹も減ったので、やっぱり近江町市場で昼飯でも…と寄ってみることにした。
「近江町海鮮丼」なるものを註文したのだったが、やはりこうした場所のコスパは良いとは言えない。それでも楽しむことが大切である(笑)。










ホテルに荷物を預けることもできたのだが、面倒だったのでリュックを背負って歩き続けたらさすがに疲れた。あとは駅近くのショッピングセンターなどで時間を潰したが、さすがに北陸の人気都市ということか、どこも人が一杯である。
「世界で最も美しい駅14選」の中に選ばれたということだが、設計期間が1993年~1998年くらいのようだから、まさにバブル時代に発想され、バブルがはじけてもひきついだ事業だったのだろう。鼓門だけで3億円かけているというから、それだけでも推察できる。
#バブル崩壊期間(平成不況(第1次平成不況)や複合不況とも呼ばれる)は、1991年(平成3年)3月から1993年(平成5年)10月までの景気後退期を指す。
しかし、世界のオリンピック競技場がせいぜい500億円だったのに対して、次期東京オリンピック陸上競技場では2500億円もかけるというのだから(その殆どを関係者が食いつぶすのだろうから)、そんな事業に比べれば可愛いものである。


いろいろ時間を潰しながらのんびりして、16:33予定の列車に乗り込んで帰浜。
この旅も無事に終了です。

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